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北原白秋生家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北原白秋生家

母屋
所在地 福岡県柳川市大字沖端町55-1
位置 北緯33度9分32.3秒 東経130度23分38.6秒 / 北緯33.158972度 東経130.394056度 / 33.158972; 130.394056座標: 北緯33度9分32.3秒 東経130度23分38.6秒 / 北緯33.158972度 東経130.394056度 / 33.158972; 130.394056
類型 商家
形式・構造 (母屋)木造、土蔵造
建築年 幕末-明治初期
文化財 県史跡
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北原白秋生家(きたはらはくしゅうせいか)は、福岡県柳川市にある詩人北原白秋1885年生まれ)の生家跡。福岡県指定史跡。白秋生誕当時の母屋と穀倉が現存し、文学館施設として使用されている。運営は、(公財)北原白秋生家記念財団。

生家跡の施設

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造り酒屋の佇まいを伝えるなまこ壁の母屋と穀倉は、幕末から明治初期の建築と推定される。1901年(明治34年)の沖端大火により被害を受けたが、耐火建築の土蔵造であったため辛うじて残った。酒蔵や精米所など他の建造物はこのときに全て焼失している。県の史跡に指定された1969年10月に修復と一部復元が完工し、11月に一般公開が始まった。館内には白秋の愛用品や著書等を展示、また白秋の幼少期の落書も残されている。仏間にはデスマスクが保管されている。 白秋生誕百年にあたる1985年には敷地の一隅、裏庭に隣接して柳川市により北原白秋記念館(柳川市歴史民俗資料館)が開館。1990年に母屋の下屋の書斎が復元された。

入館者数

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生家および北原白秋記念館には、2019年9月末現在で累計599万7547人が来館するなど、柳川を代表する観光スポットとして知られている[1]。生家の入館者数は白秋記念館が開設された1985年度から急増し、1993年度までは毎年ほぼ20万人を越していたが、1990年代後半から減少し2004年度には10万人を割った[2]。2019年度は4万1600人で、2020年度は新型コロナウイルスの影響で半年で約2900人と激減、存続のために寄付を募るなどしている[2]

利用案内

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  • 所在地:〒832-0065 福岡県柳川市大字沖端町55-1[3]
  • 開館時間:9:00 - 17:00[4]
  • 休館日:年末年始(12月29日 - 1月3日)[4]

交通アクセス

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周辺

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出典

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  1. ^ 森竜太郎 (2019年10月12日). “取り壊し危機越え名所に 柳川市の白秋生家 復元50周年”. 西日本新聞. 2022年7月3日閲覧。
  2. ^ a b 森川愛彦 (2020年10月15日). “北原白秋の生家が存続難 寄付募るも「自助努力を」の声”. 朝日新聞デジタル. 2022年7月3日閲覧。
  3. ^ 北原白秋生家”. 柳川市 (2021年8月18日). 2022年7月3日閲覧。
  4. ^ a b 白秋生家/白秋資料館”. 北原白秋記念館. 2022年7月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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