北尾重政 (2代目)
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二代目 北尾 重政(にだいめ きたお しげまさ、寛政5年〈1793年〉‐没年不明)とは、江戸時代中期の浮世絵師。
来歴
[編集]北尾政美及び喜多川月麿の門人で、さらに歌川豊国にも学んでいる。江戸の人。新乗物町河岸に住んでいた。作画期は文化(1804年‐1818年)から天保(1830年‐1844年)期で、初名を蕙麿、美丸または美麿といった。まず北尾政美及び喜多川月麿に学び、初め北川氏または喜多川氏を称していたが、ついで小川氏に改め、その後さらに歌川氏となり、最後には北尾氏を称した。大いに人々に知られるには至らなかったが、美人画の錦絵を残している。草双紙の挿絵に最も力を注ぎ、力作が多かった。主な作品として、文化5年(1808年)刊行の噺本『恵方土産』(感和亭鬼武作)一冊、文化7年(1810年)刊行の合巻『昔語兵庫之築嶋』(式亭三馬作)六巻、文化12年(1815年)刊行の合巻『草履打所縁色揚』(山東京伝作)六巻1冊、文政6年(1823年)刊行の合巻『二重染曾我雁金』(古今亭三鳥作)六巻、文政10年(1827年)刊行の合巻『恋角力赤縄取組』(こいずもうえにしのとりくみ : 墨川亭雪麿作)一冊、文政11年(1828年)刊行の合巻『東来希代関取』(あずまくだりきたいのせきとり : 山東京山作)四巻などがあげられる。文政10年(1827年)正月、自ら二代目北尾重政を襲名し、花藍、花蘭斎、一遊斎と号す。文化7年正月版行の『昔語兵庫之築嶋』に「北川姓改十八歳小川美丸画」とあるのをもって、その生年を推算できる。
作品
[編集]- 「両国橋花火見物之図」 大錦3枚続
- 「桜下野馬之図」 美丸画の落款 大錦
- 『身振いろは芸』2冊 東西庵南北作 文政12年(1829年) 蓬左文庫所蔵
参考文献
[編集]- 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻)-日本浮世絵協会編(1982年、大修館書店)