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北山名村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きたやなむら
北山名村
小淵の渡し
廃止日 1872年
廃止理由 合併
現在の自治体 扶桑町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
丹羽郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 861[1]
(1800年代初め[1]
隣接自治体 美濃国鵜沼村、岩手村、中般若、南山名村、木津村
北山名村役場
所在地 愛知県
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北山名村(きたやなむら)は、愛知県丹羽郡にかつてあった町村制施行前の村)。

現在の扶桑町山那小淵にあたる。

歴史

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『尾張徇行記』によれば、北山名村は木曽川沿いに点在する村で、しばしば洪水に見舞われ石高が減少して、農業だけでは生計が成り立たなく養蚕も早くから行われ、生糸真綿の行商をしていた。また、周辺の村々とともに馬を多く育てていたことも記録されている。1730年享保15年)頃には、馬市が盛んであったという記録もある。また、『寛文村々覚書』には「中鵜飼船四艘」の字も見え、鵜飼いも行われていたらしい。

沿革

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地理

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『天保村絵図』によると、この村は北山名村に枝郷小淵を合わせてできており、人口の割に畑が少なく、半農半商の生活をしていたようである。村の北には御幸通り、堤道が通り、堤の北側には山神が2ヶ所と墓地が見える。現在は墓地はなく、三本松といっていた地と思われる。北側は木曽川を隔てて美濃国鵜沼村、西は岩手村、中般若、南は南山名村と東は木津村と境をなしている。

木曽川畔の村として、昔より水との闘いを重ねてきた地域で、小さな村に8本の猿尾堤をもち、御囲堤沿いの村として生き抜いてきた。北山名村には小淵の渡し(山名の渡し)があった。古くは承久の乱に登場する「九瀬」の一つ「気瀬」(各務原市大伊木)の対岸である。『尾張名所図絵』、『尾張志』にも書かれていることから、かなり古くから渡船場があったことが分かる。

ほかに、小淵の薬師寺にはブチワリ不動尊という石像があり、キリシタン信仰の遺物として、高木村のキリシタン弾圧に関連する貴重な資料と言われている。

文化財

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学校

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参考文献

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  • 『扶桑町史』、扶桑町、1998年、第四章 近世、284 - 286頁。

脚注

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  1. ^ a b 『扶桑町史』、扶桑町、1998年、第四章 近世 第一節 江戸時代の村々、279頁。
  2. ^ 小淵の渡し跡”. 2023年1月20日閲覧。
  3. ^ 尾張北部の旧丹羽郡の学校史 ⑵ (PDF)

関連項目

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