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北島貴孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北島 貴孝
(きたじま よしのり)
北島 貴孝
生年月日 1884年明治17年)7月10日[1]
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国島根県簸川郡(現・出雲市大社町
没年月日 (1956-08-20) 1956年8月20日(72歳没)[1][2]
死没地 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
前職 出雲大社御造営御用掛
配偶者 先妻:北島幸子
後妻:北島真佐子
子女 長男北島英孝
長女:赤松寿美子

在任期間 1925年7月10日 - 1947年5月2日
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北島 貴孝(きたじま よしのり、1884年明治17年〉7月10日 - 1956年昭和31年〉8月20日)は、大正から昭和前期の神職政治家華族出雲大社北島国造家第77代当主貴族院男爵議員

経歴

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島根県簸川郡(現・出雲市大社町)で北島国造家76代当主・北島斉孝長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い1918年(大正7年)12月20日、男爵を襲爵した[1][4][5]

1906年(明治39年)、学習院高等科を卒業し、さらに東京帝国大学文科大学史学科を修了した[2][6]。1918年、父の死去後、神道出雲教会大教主に就任[6][7]。1952年(昭和27年)、神道大教から離れ出雲教を設立して国造に就任した[6][7]。1948年(昭和23年)から1953年(昭和28年)まで出雲大社御造営御用掛を務めた[6]

1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 霞会館 1996, p. 497.
  2. ^ a b c 衆議院 & 参議院 1990, p. 69.
  3. ^ 神社新報社 1986, p. 119.
  4. ^ a b 人事興信所 1943, p. キ71.
  5. ^ 『官報』第1916号、1918年(大正7年)12月21日。
  6. ^ a b c d 井上順孝ほか 1996, p. 417.
  7. ^ a b 國學院大學日本文化研究所 2000, p. 215.
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  9. ^ 『官報』第3871号、1925年(大正14年)7月18日。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録』《上》(14版)人事興信所、1943年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 神社新報社 編『神道人名辞典』神社新報社、1986年。 
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 井上順孝ほか 編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1996年。 
  • 國學院大學日本文化研究所 編『神道人物研究文献目録』弘文堂、2000年。 
日本の爵位
先代
北島斉孝
男爵
出雲国造北島国造家第3代
1918年 - 1947年
次代
華族制度廃止