北川一夫
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北川 一夫 | |
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生誕 |
1892年8月16日 日本 広島県 |
死没 | 1956年4月9日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
北川 一夫(きたがわ かずお、1892年(明治25年)8月16日[1] - 1956年(昭和31年)4月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第33期卒業[2]。1937年(昭和12年)8月2日に陸軍歩兵大佐に進級し[3]、9月23日に留守第9師団参謀長に就任した[3]。1938年(昭和13年)に歩兵第83連隊長(第12軍・第21師団・第21歩兵団)に就任し[3]、日中戦争に出動[2]。徐州に駐屯し、蘇北作戦などに参加した[2]。
1940年(昭和15年)8月に陸軍少将に進級し[3]、長崎要塞司令官に就任した[1]。1941年(昭和16年)11月に第35歩兵団長(北支那方面軍・第35師団)に転じ[1]、中国戦線に復帰。開封に駐屯し、河南作戦などに参加した[2]。1943年(昭和18年)4月に第56歩兵団長(緬甸方面軍・第15軍・第56師団)に就任し、ビルマ方面に出征[1]。1944年(昭和19年)5月10日に独立混成第46旅団長に転じ[1]、7月14日に陸軍中将に進級[3]。同日第66師団長に親補され[1][2]、宜蘭に司令部を置き、米軍上陸に備えた[2]。11月2日に西部軍司令部附となり[2]、12月1日に待命[4]、12月2日に予備役に編入された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。