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北川晃二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 1994年2月27日[1])は、日本編集者ジャーナリスト小説家フクニチ新聞社社長。

経歴

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福岡県添田町出身[2]。 1938年福岡県中学修猷館[3]を経て、1943年西南学院高等部英文科を卒業[2]

北京日本大使館調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍第63師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた[2]

復員後、福岡市の図書出版惇信堂に入社し、南風書房を設立。1946年6月、真鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。創刊号に掲載された小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第1回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した[2]

1951年夕刊フクニチ新聞社(フクニチ新聞社の前身)に入社。1969年工務局長、1970年編集局長、1973年取締役、1976年社長を歴任し、1981年に退職。その後、1986年守谷組社長、福岡市人事委員会委員長などを務めた[1]

小説「奔流」で1952年上半期芥川賞候補となり、新聞紙上で多くの評伝などを連載するかたわら、「午前」をはじめ「西域」「季刊午前」など地元文芸誌で後進を育成した。1989年、福岡市文化賞を受賞[2]

主な著書

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  • 『逃亡』(講談社、1948年)
  • 『太一郎物語―森永太一郎という男』 (オリオン社、1963年)
  • 『黒衣の女』(光風社書店、1973年)
  • 『青木繁 その愛と彷徨』(講談社、1973年)
  • 『黙してゆかむ―広田弘毅の生涯』(講談社、1975年)
  • 『武蔵に勝った男―杖道流祖夢想権之助』(武道学園純正館、1988年)

脚注

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  1. ^ a b 『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)835-836頁
  2. ^ a b c d e 石風社 著者 北川晃二(2023年1月9日参照)
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員37頁