北村義男
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北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月21日[1] - 1979年(昭和54年)12月1日[2])は、日本の医学者。石川県七尾市出身。第四高等学校(現:金沢大学)、東京帝国大学(現:東京大学)医学部卒業。
経歴
[編集]1930年(昭和5年)に東京帝国大学医学部卒業後、1930年(昭和11年)に医学博士号を取得。1936年(昭和28年)に徳島大学教授となる。1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)までは同大学医学部付属病院(現:徳島大学病院)の院長も兼任していた[3]。その後は医学部長を経て1970年(昭和45年)に同大学学長に就任。
1977年(昭和52年)に四国女子大学(現:四国大学)学長に就任したが、1979年(昭和54年)に満74歳で逝去。
著書
[編集]単著
[編集]- 『小児の下痢』金原出版、1957年。 NCID BN1096943X。
共著
[編集]- 北村義男、宮尾益英『ビタミンB2欠乏症』金原出版〈日本小児科全書 第11編 第3冊〉、1962年。 NCID BN15247013。
関連書
[編集]- 松田博編集 編『北村教授開講10周年記念研究業績目録』徳島大学医学部小児科学教室、1962年10月。 NCID BA32257645。
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ 『徳島年鑑 1979年版』(徳島新聞社、1979年)p.541
- ^ 『「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年) II 学術・文芸・芸術篇』(日外アソシエーツ、2012年)p.364
- ^ 歴代病院長/役職員/現員 (PDF) - 徳島大学病院