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北条五代記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。

北条記』と取り上げている話題が似ており、同書を参照して書かれたと推定されている[1]江西逸志子北条盛衰記』(改題本『北条五代実記』、現代語訳『小田原北条記』)[2]は『北条記』と『北条五代記』を参照して書かれた別作品である[1]

著者

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著者名は明記されていないが、寛永版の作中に「出口五郎左衛門尉茂正」「三浦屋浄心」の名前に言及があり[3]、また跋にあたる巻10「老て小童を友とする事」に「浄き心にあらざれば」という名前の分かち書きがあって[4]三浦浄心の著書である。後北条氏の旧臣で小田原籠城を体験したなど、経歴の紹介もある[5]

編集の経緯について、序に、「翁」が著した『見聞集』から、後北条氏に関わる記事を旧友が抄録したと記されているが、これは擬態で全編が浄心の自著と考えられている(『見聞集』からの抜粋は、浄心の著書の刊本に共通する擬態)[6]

なお、万治版では、著者名が記されていた条項が削除されており、巻4「北条氏政東西南北と戦の事」にある「それがし親。三浦五郎左衛門尉茂信。相州三浦の住人。北条家譜代の侍なり」という記述のみが残されていたため、著者名を「三浦茂信」と記している文献が多いが[7]、寛永版には、もとの名は「出口五郎左衛門尉茂正」で、江戸へ上ってから「三浦五郎左衛門」と呼ばれるようになった、とある[8] [9]

成立時期

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これも浄心の各作品に共通して、作中に、今は慶長19年(1614年)、と記されているが、元和・寛永年間の事実への言及も多いことが知られており、『見聞集』に永禄8年(1565年)生まれの浄心が70余歳と記されていることや[10]、「三十余年、弓矢治て。当代の若き衆。しるべからず」(関ヶ原の戦い1600年大坂夏の陣は1614年)[11]のような言及から、実際の成立時期は寛永版刊行(寛永18年・1641年)の少し前の寛永後期とみられている[6]

大澤学は、作中の徳川幕府に対する批判的な記述に対する干渉を避けるため、特に「秀頼公をお許しになった家康様は慈悲深いお方だ、ありがたい」といった言辞が皮肉と捉えられないために大坂夏の陣以前の作品成立を装ったと指摘している[12]

参照関係

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前述の『北条記』の他にも、作中に『吾妻鏡』からの大部の引用や創作的再話[13]、『太平記』の再話[14]、『庭訓往来抄』(寛永8年刊本に近い本)からの引用[15]など、出典のある記述が多く含まれていることが知られている。また先行して刊行されていた『甲陽軍鑑』を意識し、参照して書かれている[16][17]。著者自身の体験談は北条五代の中でも氏政から氏直の時代(浄心自身の説明では氏康以降)と後北条氏滅亡後の、一部の話題に限局される。

諸本

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寛永(18年)版、万治(2年)版などがある[16]

万治版は、寛永版をもとに浄心の死後に刊行された別版である[16]

寛永版は74条からなるが、万治版は絵入りで寛永版よりも話題が17項少ない。内容にも改変があり、著者の浄心に関する情報や後北条氏とあまり関係しない話題が削られたり、各巻に散在していた小田原攻めの話題が簡略化されて巻10にまとめられたりしている。[18]

元禄(10年)版は、原作をもとに古浄瑠璃の台本としたもので、朝倉治彦は、同版と『三浦北条軍法くらべ』(寛文8年・1668年)を『北条五代記』に取材した別書としている[19]

寛永版の諸本

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寛永版には以下の各本がある。

翻刻・現代語訳

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  • 近藤瓶城(校)『史籍集覧 北条五代記』近藤瓶城、1885年 書誌情報
  • 『続帝国文庫 第15編』博文館、1899年 - 万治版翻刻 影印
    • ウィキソースには、北条五代記の翻刻 テキストデータがあります。
  • 近藤瓶城(校訂)『改定史籍集覧 第5冊』近藤出版部、1900年 - 万治版 翻刻 影印
  • 橋本実(校訂)『古典研究』第5巻第14号別冊附録、1940年
  • 萩原龍夫(校注)『北条史料集』<戦国史料叢書 第2期第1巻>人物往来社、1966年 - 寛永版の抄録 翻刻 影印
  • 横山重ほか(編)『古浄瑠璃正本集 第7』角川書店、1979年 - 元禄版 翻刻 影印
  • 矢代和夫・大津雄一(現代語訳)『北条五代記』勉誠出版、1999年、ISBN 978-4-585-05113-8 - 万治版 書誌情報
  • 柳沢昌紀(翻刻)『仮名草子集成 第62巻』『仮名草子集成 第63巻』東京堂出版、2019年・2020年- 寛永版の全文翻刻。底本:筑図本(巻2を除く)、巻2は臼杵本。臼杵本・東図本で補完。 書誌情報

なお、『通俗日本全史 第15巻』に「北条五代記」と題して収載されているのは『北条盛衰記』である(翻刻 影印)。

脚注

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  1. ^ a b 岸正尚(現代語訳)『小田原北条記 原本現代訳23』 教育社 1980年
  2. ^ 『北条盛衰記』は内閣文庫本・昌平坂学問所本など。『北条五代実記』は国会図書館本など。
  3. ^ 巻2「万の道。時代に寄てかはる事」、巻9「人名題号に。しらるゝ事」
  4. ^ 山崎美成『海録』巻之18の65「見聞集評」
  5. ^ 寛永版巻10「犬の革を。海道に捨る事」
  6. ^ a b 大澤学「三浦浄心の著作における慶長19年」「『北条五代記』寛永版の訂正」など
  7. ^ 『国書解題』や『史籍解題』に浄心の名は「三浦茂信」と記されていた(佐脇栄智「北条五代記の著者について」日本歴史学会『日本歴史』No.126、1958年12月)。2021年現在も国文学研究資料館の古典籍総合目録データベースの著者名などは「三浦茂信」となっている。
  8. ^ 巻9「人名題号に。しらるゝ事」
  9. ^ 1958年に佐脇前掲書が内閣文庫本万治版表紙見返しに書き入れのあった家譜の写しをもとに著者名は「三浦茂信」ではなく「三浦茂正」であると指摘し、1966年に「出口五郎左衛門尉茂正」の名に言及のある『北条史料集』の翻刻(寛永版の抄録)が刊行されている。
  10. ^ 『見聞集』巻1「道斎日夜双紙を友とする事」
  11. ^ 『北条五代記』巻8「東国山嶺に。のろしを立る事〔付〕大伴黒主事」
  12. ^ 大澤、前掲書
  13. ^ 中西春峰「北条五代記の一考察」(博文館『古典研究』vol.5 No.14、1940年12月、25-30頁)、萩原龍夫『北条史料集』の校注、大澤学「三浦浄心の著作と『吾妻鏡』」
  14. ^ 下沢敦「風摩:『北条五代記』「関東の乱波智略の事」について」(『共栄学園短期大学研究紀要』No.20、2004年)に、巻9「関東の乱波智略の事」の後段が『太平記』巻第34「平石の城軍の事付けたり和田夜討の事」の再話との指摘がある。
  15. ^ 阪口光太郎「『慶長見聞集』と中世文学」(『東洋学研究』vol.37、101-110頁)に『見聞集』について指摘があり、『北条五代記』でも巻7「東海にて。魚貝取尽す事。付人魚の事」に書題に言及があり、引用箇所は多い。
  16. ^ a b c d e f g h i 大澤「『北条五代記』寛永版の訂正」
  17. ^ 巻6「上杉輝虎、武田信玄、小田原へ働事」に『甲陽軍鑑』巻12にある「相州みませ合戦之事」の経緯を引き、また「甲州衆」の物言いが大袈裟であるとして『甲陽軍鑑』本編巻11にみえる川中島の合戦のとき上杉輝虎武田信玄が直接対戦し信玄が太刀を軍配で受けたとの逸話を引いている(倉員正江『北条五代記における関東戦国時代評をめぐって』日本大学生物資源科学部『人間科学研究』第17号、2020年、106-134頁)。また巻7「駿河海にて船軍の事」は『甲陽軍鑑』本編巻20の「北条衆武田衆船軍之事」(酒井憲二(編)『甲陽軍鑑大成 第2巻 本文編 下』汲古書院、1994年、153-154頁)を題材とし、原著にある、武田方は悉く負けそうだったが、向井兵庫が奮戦し敵船を退却させて感状を受けた、という内容を、武田方は小船で北条方の大船と対戦し、討取られなかったことを手柄としているが、逃げるばかりで意味がなかった、と書き改めている(この点も倉員前掲書に言及がある。同書によれば、明暦2年・1656年成立の『翁物語』に『北条記(北条五代記)』の三増峠合戦の記事を読んだ向井兵庫の子孫が怒っていたという話がある)。
  18. ^ 寛永版と万治版の項目の対比は、萩原龍夫校注本216-221頁の解説に詳しい。朝倉『順礼物語』の『北条五代記』解説にも対比表を載せている。
  19. ^ 『順礼物語』268頁
  20. ^ a b c d 『国書総目録』
  21. ^ a b 柳沢昌紀(解題)「北条五代記」『仮名草子集成 第63巻』

参考文献

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  • 朝倉治彦「北条五代記」解説『順礼物語』〈古典文庫〉1970年、247-268頁
  • 大澤学「三浦浄心の著作における慶長19年」『近世文芸研究と評論』No.32、1987年6月
  • 大澤学「三浦浄心の著作と『吾妻鏡』」早稲田大学国文学会『国文学研究』vol.96、1988年10月、12-21頁
  • 大澤学「『北条五代記』寛永版の訂正」神保五弥編『江戸文学研究』新典社、1993年、24-38頁
  • 柳沢昌紀(解題)「北条五代記」『仮名草子集成 第63巻』東京堂出版、2020年、313-316頁