北条俊時
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 正慶2年/元弘3年5月22日(1333年7月4日) |
別名 | 塩田俊時 |
官位 | 中務大輔、民部大輔 |
幕府 | 鎌倉幕府評定衆 |
主君 | 北条高時 |
氏族 | 北条氏 |
父母 | 父:北条国時 |
兄弟 | 藤時、俊時 |
北条 俊時(ほうじょう としとき) は、鎌倉時代末期の武士。北条国時の嫡男。
元徳元年11月11日(1329年12月2日)、評定衆に任じられ、同3年1月23日(1331年3月2日)、四番引付頭人に就任した。(『鎌倉年代記』)
元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府の滅亡に伴い死去。
『太平記』巻十「塩田父子自害事」によると、父・国時の自害を促すため、自分の腹を掻き切り自害して果てた。
参考文献
[編集]- 『鎌倉年代記』(増補 続史料大成)
- 『金沢文庫古文書』(神奈川県立金沢文庫刊)