北条宗長
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 未詳 |
死没 | 延慶2年7月23日(1309年8月28日) |
別名 | 名越宗長、備前二郎(通称)、名越備前前司 |
官位 | 備前守、左近将監 |
幕府 | 鎌倉幕府 能登・安芸・豊前守護 |
氏族 | 名越流北条氏 |
父母 | 父:北条長頼、母:未詳 |
兄弟 | 宗長、篤長(子に春朝、長朝) |
妻 | 吉見頼宗の娘(吉見氏) |
子 |
夏時(春時)・家政(家貞)・貞宗・公長・宗朝・ 実助(長福寺[要曖昧さ回避]別当)・長助(権少僧都) |
北条 宗長(ほうじょう むねなが)は、鎌倉時代中期の武将。北条氏の一門。名越流・北条長頼(ながより)の子(北条時長の孫)。最初の通称である備前二郎は父長頼が備前守であったことに由来し、これを根拠に宗長は長頼の次男と考えられる。後に宗長が備前守を踏襲し、備前守を通称とした。
能登国、安芸国、豊前国の3カ国の守護を兼任しており、幕府内における地位は高かったと考えられている。
参考文献
[編集]- 北条氏研究会編『北条氏系譜人名辞典』(新人物往来社、2001年)