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北条時見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
北条時見 / 名越時見
時代 鎌倉時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 江馬(江間)時見、越前入道
官位 越前
氏族 名越流北条氏
父母 父:北条篤時、母:不詳
兄弟 秀時公篤時見時成
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北条 時見(ほうじょう ときみ)は、鎌倉時代後期の武将、名越流北条氏の一門。名越 時見(なごえ ときみ)、江馬(江間) 時見(えま ときみ)とも呼ばれる。

生涯

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元弘元年(1331年)9月、元弘の乱において、北条高時によって金沢貞冬足利高氏らとともに畿内に派遣された[1][2]

元弘2年/正慶元年(1332年)9月、畿内の反幕勢力討伐のため、淡河時治とともに北陸道7ヶ国の軍勢を率いて東坂本(現滋賀県大津市)を経て上京に上洛した[3]

元弘3年/正慶2年(1333年)、楠木正成討伐のための千早城の戦いに参加し、3000の兵で水辺に陣を構え、城から降りてくる兵を討とうと画策している[4]

脚注

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  1. ^ 『金沢貞顕』136頁。
  2. ^ 『太平記』巻三「笠置軍事付陶山小見山夜討事」
  3. ^ 『太平記』巻六「関東大勢上洛事」
  4. ^ 『太平記』巻七「千剣破城軍事」

参考文献

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外部リンク

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