北条時見
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 江馬(江間)時見、越前入道 |
官位 | 越前守 |
氏族 | 名越流北条氏 |
父母 | 父:北条篤時、母:不詳 |
兄弟 | 秀時、公篤、時見、時成 |
北条 時見(ほうじょう ときみ)は、鎌倉時代後期の武将、名越流北条氏の一門。名越 時見(なごえ ときみ)、江馬(江間) 時見(えま ときみ)とも呼ばれる。
生涯
[編集]元弘元年(1331年)9月、元弘の乱において、北条高時によって金沢貞冬、足利高氏らとともに畿内に派遣された[1][2]。
元弘2年/正慶元年(1332年)9月、畿内の反幕勢力討伐のため、淡河時治とともに北陸道7ヶ国の軍勢を率いて東坂本(現滋賀県大津市)を経て上京に上洛した[3]。
元弘3年/正慶2年(1333年)、楠木正成討伐のための千早城の戦いに参加し、3000の兵で水辺に陣を構え、城から降りてくる兵を討とうと画策している[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 永井晋『金沢貞顕』〈人物叢書〉吉川弘文館、2003年。ISBN 4-642-05228-3