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北条館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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北条館
岩手県
城郭構造 城館
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 樋爪氏?、日詰氏?、北条氏?
廃城年 1592年(天正20年)
遺構 堀、土塁
指定文化財 未指定
位置 北緯39度32分09.8秒 東経141度10分22.1秒 / 北緯39.536056度 東経141.172806度 / 39.536056; 141.172806座標: 北緯39度32分09.8秒 東経141度10分22.1秒 / 北緯39.536056度 東経141.172806度 / 39.536056; 141.172806
地図
北条館の位置(岩手県内)
北条館
北条館
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北条館(ほうじょうだて)[1]は、岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内にあった日本の城

概要

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東西180メートル、南北250メートルの規模で、東は北上川、西はあずま街道(鎌倉街道)、西・北辺には濠跡の水田(8.5 - 12メートル幅)が残り、南・北側には北上川支流の平沢川・滝名川が流れる、水陸共に交通の要地にあたる。現在は稲荷、千手観音、薬師如来が残る。

歴史・沿革

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築城年代は不明であるが、陸奥国志和郡日詰村に所在した、館主は樋爪氏の一族とも、北条氏の末裔とも言われているが、戦国期の郡主斯波氏の家臣日詰氏の比爪城が当館とする説もあり、天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「肥爪 平城 破 信直抱 代官 川村 中務」と書かれ破却された[2]

2018年(平成30年)4月から岩手県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われており、土塁掘立柱建物跡などが検出されている[1]

脚注

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  1. ^ a b 「北条館跡」公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
  2. ^ 児玉・坪井 1980 p.259

参考資料

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  • 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』岩手県、1961年3月25日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4040010302 
  • 児玉幸多坪井清足日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日、259頁。 

関連項目

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外部リンク

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