北条館
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北条館 (岩手県) | |
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城郭構造 | 城館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 樋爪氏?、日詰氏?、北条氏? |
廃城年 | 1592年(天正20年) |
遺構 | 堀、土塁 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯39度32分09.8秒 東経141度10分22.1秒 / 北緯39.536056度 東経141.172806度座標: 北緯39度32分09.8秒 東経141度10分22.1秒 / 北緯39.536056度 東経141.172806度 |
地図 |
北条館(ほうじょうだて)[1]は、岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内にあった日本の城。
概要
[編集]東西180メートル、南北250メートルの規模で、東は北上川、西はあずま街道(鎌倉街道)、西・北辺には濠跡の水田(8.5 - 12メートル幅)が残り、南・北側には北上川支流の平沢川・滝名川が流れる、水陸共に交通の要地にあたる。現在は稲荷、千手観音、薬師如来が残る。
歴史・沿革
[編集]築城年代は不明であるが、陸奥国志和郡日詰村に所在した、館主は樋爪氏の一族とも、北条氏の末裔とも言われているが、戦国期の郡主斯波氏の家臣日詰氏の比爪城が当館とする説もあり、天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「肥爪 平城 破 信直抱 代官 川村 中務」と書かれ破却された[2]。
2018年(平成30年)4月から岩手県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われており、堀、土塁、掘立柱建物跡などが検出されている[1]。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』岩手県、1961年3月25日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4040010302。
- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日、259頁。