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北海道道124号宮の沢北一条線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
主要地方道
北海道道124号標識
北海道道124号 宮の沢北一条線
主要地方道 宮の沢北一条線
地図
地図
総延長 7.2 km
制定年 1983年昭和58年)
起点 札幌市西区宮の沢1条3丁目【北緯43度5分25.0秒 東経141度16分10.9秒 / 北緯43.090278度 東経141.269694度 / 43.090278; 141.269694 (道道124号起点)
終点 札幌市中央区北1条西11丁目【北緯43度3分37.9秒 東経141度20分26.7秒 / 北緯43.060528度 東経141.340750度 / 43.060528; 141.340750 (道道124号終点)
接続する
主な道路
記法
国道5号
北海道道82号標識
北海道道82号西野真駒内清田線
北海道道89号標識
北海道道89号札幌環状線
国道230号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

北海道道124号宮の沢北一条線(ほっかいどうどう124ごう みやのさわきたいちじょうせん)は、北海道札幌市を通る道道主要地方道)である。

概要

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全線が国道5号の旧ルートであり、国道がバイパスの札幌新道へルート変更された際、道道として認定された。

全線が札幌市管理路線であり、札幌圏都市計画道路北5条手稲通、西25丁目通、北1条宮の沢通のそれぞれ一部である。

札幌市西部と都心を結ぶ最短ルートであり主要な幹線道路の一つである。

路線データ

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

歴史

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札幌と小樽市を結ぶルートとして、この道路は古くから幹線道路として重要な役割を果たしてきた。

原型となった道路(札幌越新道)は北海道開拓期の極めて早い時期である1798年寛政10年)に開削され、1857年安政4年)には道路らしい道路となった。その後、1872年明治5年)には銭函までの馬車道路として整備され、1885年(明治18年)には国道として指定されている。

1934年昭和9年)には札幌と小樽を結ぶ鉄道省営自動車が運行を開始[1]し、当時道央の経済の中心であった小樽とを結ぶ幹線道路として、札樽国道という呼び名で広く呼ばれるようになる。1983年(昭和58年)に国道5号が札幌新道へルート変更され、当該区間は道道となり現在に至る。

路線状況

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重複区間

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都市計画道路

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当路線のうち以下の区間は札幌圏都市計画道路として都市計画決定されている。[要出典]

  • 起点 - 札幌市中央区北5条西24丁目:北5条手稲通
  • 札幌市中央区北5条西24丁目 - 札幌市中央区北1条西24丁目:西25丁目通
  • 札幌市中央区北1条西24丁目 - 終点:北1条宮の沢通

地理

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通過する自治体

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交差する道路

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道路通称名標識 道道路線名が表記されている
札幌市西区
札幌市中央区

沿線にある施設など

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西区
中央区

参考文献

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脚注

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  1. ^ この道路は現在に至るまで札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)の主要ルートである
  2. ^ 1983年北海道告示第674号
  3. ^ s:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省
  4. ^ 1994年北海道告示第1468号

関連項目

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