浪岡具運
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(北畠具運から転送)
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文元年(1532年) |
死没 | 不詳/天正4年(1576年まで生存説あり) |
別名 | 浪岡御所 |
官位 | 従五位下、式部大輔[要出典]、式部少輔、侍従 |
氏族 | 浪岡氏 |
父母 | 父:浪岡具統 |
兄弟 | 具運、顕範 |
妻 | 平俊忠の娘 |
子 | 顕村 |
浪岡 具運(なみおか ともかず)は、日本の戦国時代の武将。陸奥国の名族浪岡氏の第9代当主。
生涯
[編集]祖父・具永や父・具統と同じく朝廷から高位の官位に叙任された。
没年について
[編集]北畠具信による川原御所の乱が永禄5年(1562年)に起き、この事件によって浪岡氏は大きく衰退したとされる。浪岡氏の没年に関する情報が安永4年(1775年)に作成された京徳寺過去帳の他に浪岡氏の没年に関する資料が見られないため、史料性には疑問を持たれつつもこの事件で殺害されたのは具運とされてきた[1]。
一方で、北浜今淵村(青森県東津軽郡今別町)の八幡宮の棟札銘に、永禄3年に具運が同社を再興したとされている[2]。さらに、2011年(平成23年)『補略』と総称される公家名簿の史料群が学会に相次いで紹介された。その補略には具運は元亀2年(1571年)時点に従五位下侍従となり、天正4年(1576年)までの存命が認識されており、再検討の必要性を赤坂恒明は指摘している。また、この乱により、殺害された「御所様」は『補略』に記載がない浪岡具統である可能性が高いとしている[3]。
官位
[編集]系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 赤坂恒明 最北に栄えた“南朝北畠系”の堂上公家(日本史史料研究会 監修、神田裕理 編、『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち―天皇制度は存亡の危機だったのか』(洋泉社、2015年)ISBN 978-4800308122
- 湯川敏治編『歴名土代』続群書類従完成会、1996年