浪岡顕村
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 弘治元年(1555年) |
死没 |
天正6年7月20日(1578年8月23日)? 慶長9年(1604年)? |
別名 | 具愛、浪岡御所、通称:三郎兵衛 |
戒名 | 直指院殿無外道珍大居士 |
氏族 | 浪岡氏 |
父母 | 父:浪岡具運 |
妻 | 正室:安東愛季娘・慶松院[1] |
子 | 浪岡顕佐室 |
浪岡 顕村(なみおか あきむら)は、安土桃山時代の武将。陸奥国浪岡城主。浪岡氏10代(最後の)当主。
略歴
[編集]浪岡具運の子として誕生。
川原御所の乱で父・具運が暗殺された後、叔父・顕範の後見を受けて家督を継いだ。しかし浪岡氏の勢力は衰える一方であり、天正6年(1578年)に津軽為信に本拠の浪岡城を攻め落とされる。この時捕らえられて自害させられた[1]とも、落ち延びて舅の安東愛季を頼り、慶長9年(1604年)に死去したとも言われている。
子孫は三春藩の秋田家に仕え、代々秋田の姓を名乗ったが、隠居や庶子は浪岡の姓を名乗ったという[1](三春浪岡氏)。
脚注
[編集]- ^ a b c 三春町公式ホームページWeb資料館