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上品蓮台寺

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十二坊から転送)
上品蓮台寺
所在地 京都府京都市北区紫野十二坊町33-1
位置 北緯35度2分18.2秒 東経135度44分19.8秒 / 北緯35.038389度 東経135.738833度 / 35.038389; 135.738833座標: 北緯35度2分18.2秒 東経135度44分19.8秒 / 北緯35.038389度 東経135.738833度 / 35.038389; 135.738833
山号 蓮華金寶山
院号 九品三昧院
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗智山派
本尊 地蔵菩薩
創建年 (伝)飛鳥時代(文献上は10世紀半ば)
開基 (伝)聖徳太子(実質的開基は寛空
正式名 蓮華金寶山九品三昧院上品蓮臺寺
別称 十二坊、千本十二坊、北山蓮臺寺、蓮台寺、香隆寺
札所等 京都四十八願寺洛陽四十八願所地蔵めぐり)第十七番札所(天神同体地蔵
文化財 絵因果経(国宝)ほか
法人番号 7130005002187 ウィキデータを編集
上品蓮台寺の位置(京都府内)
上品蓮台寺
上品蓮台寺
上品蓮台寺 (京都府)
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上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は、京都市北区紫野十二坊町(蓮台野の附近)[1]にある真言宗智山派の寺院。山号は蓮華金宝山。院号は九品三昧院。本尊は延命地蔵菩薩

歴史

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寺伝によれば、聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が中興したという(『山州名跡志』)[2]

天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に、東寺長者寛空が北山に一堂を建立し、亡き父母の供養をしたとあり、『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが、これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが、これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである[3]。寛空は宇多法皇の弟子にあたり、大覚寺で法皇から灌頂を受けている[4]。宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている[5]

嵯峨清凉寺の本尊で、「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は、一時期、上品蓮台寺に安置されていた。『扶桑略記』によれば、寛和3年(永延元年・987年)に奝然が同釈迦像をから日本へ請来した際、一時この寺に安置し、後に清涼寺に移したという[2]

寺は応仁の乱で焼けたが、文禄年間(1592 – 1596年)、豊臣秀吉の援助のもと、紀州根来寺の性盛によって復興された[6]

現在の境内は千本通りの西側に位置するが、かつては、千本通りを挟んで塔頭が12院あったことから「十二坊」とも称され、これが町名(紫野十二坊町)の由来となっている。境内には仏師定朝墓があり、境内北側の真言院には源頼光の蜘蛛退治にまつわる頼光塚がある[7]

当寺は大正時代まで、智山化主の隠居寺院として知られていた。

文化財

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絵因果経(部分)

国宝

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  • 紙本著色絵因果経 - 奈良時代の作品。釈迦の前世と現世の物語を説く『過去現在因果経』という経典を絵解きしたもの。巻子本の下半分に経文を書写し、上半分に経文の内容を表す絵を描く。『過去現在因果経』は全4巻の経典だが、「絵因果経」は各巻を上下2巻に分けた全8巻から成り、上品蓮台寺本はそのうちの巻第二上のみが残ったものである。本巻は完本ではなく巻末部分を欠いており、当該部分は断簡として奈良国立博物館などに所蔵されている。奈良時代の「絵因果経」の遺品は東京芸術大学醍醐寺出光美術館にも所蔵されるが、これらは一具のものではなく、別々に制作された「絵因果経」の一部が残ったものである。数少ない奈良時代絵画の遺品として貴重である[8]京都国立博物館に寄託。

重要文化財

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  • 絹本著色六地蔵像
  • 絹本著色文殊菩薩像

墓所

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脚注

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  1. ^ 愛宕郡西紫竹大門村(のちの鷹峯村)字十二坊、野口村字十二坊
  2. ^ a b 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.488
  3. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.488; 『国史大辞典』7巻、p.621
  4. ^ 『昭和京都名所図会 5 洛中』、p.142
  5. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』61号、p.7 - 27
  6. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』61号、p,7 - 27
  7. ^ 『昭和京都名所図会 5 洛中』、p.143
  8. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』61号、p,7 - 26

参考文献

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  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979年
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』61号、朝日新聞社、1998年
  • 竹村俊則『昭和京都名所図会 5 洛中』、駸々堂、1984年
  • 『国史大辞典』、吉川弘文社

関連項目

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