十二気暦
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十二気暦(じゅうにきれき)は、中国の北宋の沈括が元祐元年(1086年)に提案した太陽暦の暦法。
暦法は二十四節気にもとづき、節気によって月名を定め、12気を1年とした。年始を立春とし、大の月を31日、小の月を30日とし、閏月を廃止した。これは月の満ち欠けのサイクル(朔望月)と関係なく、太陽の運行のみによる太陽暦であった。太平天国の天暦に影響を与えたとされる。
今為術,莫若用十二気為一年,更不用十二月。直以立春之日為孟春之一日,驚蟄為仲春之一日,大盡三十日,歳歳斉盡,永無閏餘。十二月常一大一小相間,縦有両小相並,一歳不過一次。如此,則四時之気常正,歳政不相凌奪。日月五星,亦自従之,不須改旧法。唯月之盈虧,事雖有系之者,如海、胎育之類,不預歳時寒暑之節,寓之暦間可也。藉以元祐元年為法,当孟春小,一日壬寅,三日望,十九日朔;仲春大,一日壬申,三日望,十八日朔。如此暦術,豈不簡易端平,上符天運,無補綴之労?余先験天百刻、有餘有不足,人已疑其説。又謂十二次斗建当随歳差遷徙,人愈駭之。今此暦論,尤当取怪怒攻罵。然異時必有用余之説者。 — 沈括、『夢渓筆談』補筆談