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十勝岳温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十勝岳温泉
富良野盆地を見下ろす露天風呂(カミホロ荘)
温泉情報
所在地 北海道空知郡上富良野町十勝岳温泉
交通 上富良野駅よりバスで約52分
泉質 硫酸塩泉など
泉温(摂氏 29.0 - 53.0 °C
宿泊施設数 3
外部リンク かみふらの十勝岳観光協会
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凌雲閣(2005年)

十勝岳温泉(とかちだけおんせん)は、北海道空知郡上富良野町十勝岳温泉にある温泉

大雪山十勝岳山腹の標高1,280mにある凌雲閣は、北海道で最も高所にある温泉である[1]

泉質

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3軒の施設でそれぞれ泉質が異なる。

  • カミホロ荘 - 標高1,200mの高所に所在[5]
    • アルミニウム・カルシウム-硫酸塩泉(旧泉質:含石膏-酸性泉[6]
      • 源泉温度 : 29.0℃
  • 思惟林(旧・バーデンかみふらの[7][8]
    • 酸性・含鉄、アルミニウム・カルシウム-硫酸塩泉[9]

温泉街

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標高1,290mの高所、温泉名の由来ともなっている十勝岳連峰、三段山の中腹に温泉地が存在する。北海道で最高所の温泉地でもあり、登山基地としても利用される。温泉地へのアクセス道路の終点には、登山客用の駐車場が備えられており、ここから登山道が伸びている。

宿泊施設は3軒存在する。共同浴場などはなく、日帰り入浴は旅館の「日帰り入浴」を利用することになる。

歴史

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開湯の功労者は、1963年に凌雲閣を開業した会田(あいた)久左エ門である。満洲からの引き揚げ後、妻の実家がある上富良野町に移住。十勝岳付近をスキーも使って回り、登山案内図や道路標識を設置する仕事に就き、1959年昭和34年)、安政火口(旧噴火口)で源泉を発見した[1]

当温泉を含む土地開発は地元商工会により計画された「十勝岳産業開発道路計画」の下、1959年12月開催の地元町議会において、道路開発に関する請願が採択されたことから本格化した[10]

1960年(昭和35年)5月、地図作成のための測量中、安政火口の渓谷に満ちている温泉に気付き源泉発見。翌年6月から本格的に温泉掘削(ヌッカクシフラヌイ川上流1,250m地点[11])に着手、3ヶ月後に湯温43℃、毎分250リットルの湯元を確保[4]

しかし、当地が未だ道路開通していない高所である故、温泉開業するためには、道路開削から始めることになる[4]

測量調査・温泉建設に関する認可申請や自衛隊との協議などを経た翌1961年(昭和36年)7月町議会で産業開発道路を町道「十勝岳線」として認定。同年、自衛隊と自衛隊法第100条に基づく工事の委託契約を結び、同年8月中茶屋で起工式を挙げ、道路工事が始まる[10]

そのような環境の中、山小屋「凌雲閣」[12]は、道路工事途中の1963年(昭和38年)7月営業開始[4]し、温泉営業の歴史が始まる。しかし実際は、「前年冬、一部未完成のまま宿泊も含め仮営業していた」との記録がある[11]

町はこの産業開発道路によって、「温泉を中心とした観光事業の振興」「翁温泉跡(現・思惟林附近)[8]一帯の褐鉄鉱[13][14][15]・旧噴火口の硫黄などの資源開発」を推進しようと画策。しかし工事は困難を極め、財政負担増による混乱があったものの[10]1965年(昭和40年)5月の「十勝岳産業開発道路工事」最終工事600m区間の工事着手、同年7月4日の旭川電気軌道による路線バス[16][17]が道路完工を待たず十勝岳温泉凌雲閣前までの運行開始。同月27日、「十勝岳産業開発道路」開通式が行われ、竣工道路が受渡された[18]

道路開通後の1967年(昭和42年)10月1日、厚生省告示第420号により、国民保養温泉地に指定をされることになる[18]

この年上富良野町は、10月8日に「国民宿舎カミホロ荘」を開業した[11]

また、道路工事を終了した自衛隊は山スキーの拠点とするため、同年11月、防衛庁共済組合により十勝青年隊員の家「上富山荘」を開業している(1978年3月、施設閉鎖[19][18][20][注釈 1]

凌雲閣は1994年に現在地に建て替えられ、300メートル離れた2つの源泉から湯を引いている。旧火口の自噴泉を使っていた時代は、火山灰混じりのドロドロした灰色の湯だったという[1]

アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 施設閉鎖後は「凌雲閣別館」となり現在も同地に所在。この写真内、右上に写る建屋が旧・上富山荘。

出典

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  1. ^ a b c 【五感紀行】北海道最高所の温泉/苦労刻んだ2首 道標に『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2021年5月23日1-2面
  2. ^ 十勝岳温泉 湯元 凌雲閣 - かみふらの十勝岳観光協会
  3. ^ a b 温泉 - 十勝岳温泉凌雲閣
  4. ^ a b c d はじめに - 十勝岳温泉凌雲閣。開業当初、1961年に完成した道は「上富良野駐屯地の自衛隊隊長指揮のもと完成した刈り分け道」だったとのこと。
  5. ^ 十勝岳温泉 カミホロ荘 - かみふらの十勝岳観光協会
  6. ^ 温泉 - カミホロ荘
  7. ^ 「ヒュッテバーデン上富良野」休館のお知らせ 2014年09月03日 - かみふらの十勝岳観光協会
  8. ^ a b 思惟林は、旧・翁温泉付近にあたる位置にあり、当時の自噴井も現存する。翁温泉は、十勝岳で硫黄採掘が始まった明治30年代後半以降に開湯した温泉で、公式な時期・記録は不明。大正年間には「翁温泉ハ目下尚上等ノ設備ヲ有セサルモ比較的経済ニ湯治スルヲ得テ、此ノ種希望者ノ浴客多ク合宿所的ノ設備アリ」との記録があり、いわば純粋な湯治場であった模様。1926年十勝岳の大正噴火後は、1935(昭和10)年の記録があるのみで、宿はその後早い時期に廃業された模様で、廃業に関しても公式記録は不明とされる(出典 : 4.03.04 温泉の発見と開発 - 上富良野町百年史)。現在は、同地所在の園地名称に「翁」の名を残すのみである。なお、1984年開業した旧「バーデンかみふらの」は、同地を「十勝岳温泉」と公称している。
  9. ^ ホテル富良野思惟林
  10. ^ a b c 6.05.01 道路整備の進展 - 上富良野町百年史
  11. ^ a b c 6.3.3 観光への取り組み - 上富良野町百年史
  12. ^ 安全地帯なのにキャンセルが続出、噴火に泣く十勝岳温泉-減収1千万円以上、18日にも対応を求め上富良野町と協議 雪に埋もれる十勝岳温泉郷の旅館。湯治客の足も遠のいた - 1989/01/16掲載[リンク切れ] - フォト北海道 道新写真データベース 北海道新聞。1994年に改築される前=創建当初からの凌雲閣本館の姿を写す。
  13. ^ 上富良野町郷土をさぐる会機関誌『郷土をさぐる』第15号「褐鉄鉱鉱山」(2021年5月29日閲覧)
  14. ^ 上富良野 十勝岳地下資源褐鉄鉱採掘 針田鉱業会社 整地作業 1953/06/24掲載[リンク切れ] - フォト北海道 道新写真データベース 北海道新聞。
  15. ^ 十勝岳山麓旧吹上温泉地帯から採掘された褐鉄鉱=上富良野駅にて 1953/07/05掲載 - フォト北海道 道新写真データベース 北海道新聞。
  16. ^ 6.5.2 自動車の普及と路線バスの運行 - 上富良野町百年史。このページには、「昭和27年頃から(中略)、さらに、同年6月からは吹上線(上富良野駅前から中茶屋経由吹上温泉白銀荘に至る路線)が、(中略)旭川電気軌道株式会社は十勝岳登山用の観光バスを、毎週土・日に上富良野駅前発で2往復を運行させてきたが、登山客の増加に際し、昭和38年7月1日より毎日運行することにした」との記述があるが、このバスは、中茶屋付近から現・北海道道966号十勝岳温泉美瑛線吹上温泉-望岳台間に向かって直登する北海道道291号吹上上富良野線旧道(現在、砂利道にて実在する町道)を経由し運行していた路線であって、旧・翁温泉を経由し吹上温泉へ向かう現道経由の交通とは異なるもの。
  17. ^ 7.5.2 自動車輸送の拡充 - 上富良野百年史。旭川電軌は、旧・翁温泉を経る新道経由になると同時に路線名を「十勝岳線」に改称。その後1975年5月旭川電軌バス撤退。その前年1974年4月から、上富良野町営バス「十勝岳線」運行開始。吹上白銀荘経由になったのは1994年6月から。
  18. ^ a b c 石碑[いしぶみ]が語る上富の歴史(その13) - 十勝岳産業開発道路記念歌碑 - かみふらのの郷土をさぐる会。この資料によると「上富山荘」開業は11月12日となっている。
  19. ^ 7.03.03観光の振興 - 上富良野町百年史
  20. ^ うるわしきふるさと上富良野 - かみふらのの郷土をさぐる会。この資料によると「上富山荘」開業は11月1日となっている。

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯43度24分49秒 東経142度38分34秒 / 北緯43.41361度 東経142.64278度 / 43.41361; 142.64278