十寸見蘭洲
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十寸見 蘭洲(ますみ らんしゅう)は、河東節の名跡。
初代
[編集](生年不詳 - 享保16年6月25日(1731年7月28日))本名は蔓蔦屋庄次郎。
新吉原江戸町の娼家の主人。江戸半太夫の門弟、初代十寸見河東とは同じ門弟。
尚書家の細井広沢に師事し「鳰鳥(仁本鳥)」「夜半楽」の随筆などを残す。別名は閑室蘭洲ともいう。
2代目
[編集](享保3年(1718年) - 寛政12年8月7日(1800年9月25日))本名は佐倉屋又四郎(一説に大津屋庄蔵)。
江戸新吉原の娼家の主人。3代目河東の門弟。前名等不明。後に志明を名乗った。
3代目
[編集](生年不詳 - 文政11年1月12日(1828年2月26日))
2代目蘭洲の門弟の2代目山彦蘭爾が後に2代目蘭州の養子となり、1792年に3代目襲名。後に俳諧で千束其爪を名乗る。
4代目
[編集](生年不詳 - 嘉永5年11月12日(1852年12月22日))本名は斎藤正蔵(一説に庄蔵)。
7代目河東の門弟で前名を3代目蘭爾、後に3代目蘭州の養子、1822年に4代目蘭州を襲名。
剃髪後は魯生を名乗る。
5代目
[編集](生没年不詳)
経歴等不明。通称を田川屋東太郎という。
6代目
[編集](嘉永2年(1849年) - 大正5年(1916年)2月16日)
本名は天沼熊作。前名等不明。通称を紅葉堂蘭洲という。1908年に当時の貴重な考証「真澄声曲外題鑑」を残す。
長男は建築史家・京都大学教授の天沼俊一[1]、次男は慶応義塾大学教授の天沼貴彦、娘は画家の天沼青蒲[2]。