コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

十川次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十川 次郎
生誕 1890年11月11日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1963-06-07) 1963年6月7日(72歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1911 - 1948
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

十川 次郎(そがわ じろう、1890年(明治23年)11月11日[1][2] - 1963年(昭和38年)6月7日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

山口県出身[1][2][3]。十川幸一の二男として生れる[1]広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第57連隊付となる[1][3]1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を優等で卒業[2][3]歩兵第57連隊中隊長となる[1]

1922年(大正11年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、以後、軍務局課員、フランス駐在、陸軍兵器本廠付、陸大教官などを経て、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで、ジュネーブ軍縮会議に出張[1]。帰国後、陸大教官、参謀本部課長、歩兵第1連隊長などを歴任[1][3]1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し近衛歩兵第2旅団長となる[1][3]

1939年(昭和14年)8月、中支那派遣憲兵隊司令官に就任し日中戦争に出征[1][2][3]1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み第10師団長に親補され、満州に駐屯した[1][2][3]1944年(昭和19年)1月、第6軍司令官に就任し、杭州で終戦を迎えた[1][2]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受け[4]、同年8月に復員[1]

栄典

[編集]
勲章

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、89頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』413頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289-290頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  6. ^ 『官報』第4280号「叙任及辞令」1941年4月16日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。