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千代志別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 北海道 > 石狩市 > 浜益区 > 千代志別
千代志別
千代志別川。第一千代志別橋より下流方向を望む。
千代志別川。第一千代志別橋より下流方向を望む。
地図
千代志別の位置
北緯43度41分28.3秒 東経141度20分36.7秒 / 北緯43.691194度 東経141.343528度 / 43.691194; 141.343528
日本の旗 日本
都道府県 北海道
市町村 石狩市
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
061-3105

千代志別(ちよしべつ)は北海道石狩市浜益区にある地名。

断崖絶壁に挟まれており、北に接する雄冬、南に接する床丹ともに海岸を徒歩で往来することが不可能な隔絶の地であったが[1]、現在は国道231号の開通により車両での通行が容易となっている。

地名の由来

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アイヌ語チセソシベ(家の跡のあるところ)に由来する[2]

かつて当地には、出稼ぎに来た者の家の跡があったという[2]

歴史

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明治時代

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1882年明治15年)、千代志別は北の雄冬、南の床丹・幌・群別と合わせて群別村を構成する一部となっていた[3]

1896年(明治29年)に茂生警察分署が執り行った調査によると、千代志別に本籍を置く者は9戸44名、寄留者は15戸70名であった[4]

1902年(明治35年)2月、北海道二級町村制の施行により、群別村が茂生村と合併して浜益村となる[5]

昭和時代以降

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1931年(昭和6年)に当地で生まれた山口昭の回想によると、少年時代の千代志別は山口家が手広く事業を手掛けていたため、熱気にあふれていたという[6]。昭の祖父が千代志別川の上流で採掘していた金鉱はすでに休止していたが、中流域には製材工場などが設けられ、盛んに活動していた[7]

しかし21世紀になるころの千代志別はすっかり寂れてしまい、学校もなく、十数戸が海岸近くに散在する程度になっていた[8]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 浜益村史 1980, p. 5.
  2. ^ a b 浜益村史 1980, p. 131.
  3. ^ 浜益村史 1980, p. 300.
  4. ^ 浜益村史 1980, p. 301.
  5. ^ 浜益村史 1980, pp. 316–317.
  6. ^ 山口 2003, p. 26.
  7. ^ 山口 2003, pp. 26–27.
  8. ^ 山口 2003, p. 25.

参考文献

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  • 『浜益村史』1980年3月。 
  • 山口昭『もったいない 常識への謀反』講談社〈講談社+α文庫〉、2003年8月20日。ISBN 4062567687