千保一夫
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千保 一夫 せんぼ かずお | |
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生年月日 | 1943年3月9日(81歳) |
出生地 | 日本 栃木県大田原市 |
出身校 | 中央大学法学部卒業 |
前職 |
大田原市長 大田原市議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1975年 - 1989年 2015年12月1日 - 2019年11月30日 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1990年4月8日[1] - 2010年4月7日[2] |
千保 一夫(せんぼ かずお、1943年(昭和18年)3月9日[1] - )は、日本の政治家。元大田原市議会議員(通算5期)。元大田原市長(5期)。日本を愛する栃木県民の会副会長。
経歴
[編集]1975年、32歳で大田原市議会議員に初当選し4期14年務める。1990年に大田原市長に立候補し当選[3]、以降5期20年間の長きに渡り市長を務める[2]。2010年3月14日の市長選では、約8000票差(惜敗率65.72%)の大差[4]で津久井富雄に敗れ6選を阻まれる[5]。同年5月8日には2010年の参院選出馬を日本創新党より要請された[6]が、「市政一筋でやってきたこともあるので考えられない」とし、これを断った[7]。
2013年11月10日、2010年市長選で当選した津久井富雄を「自民党大田原支部」が支援したことを引きずり、同日に設立された自民党の政治団体「自民党大田原支部分会」の代表に就任した[8]。2015年県議選では、支部分会は小西久美子候補を支援した[9]が、敗北を喫する結果に終わり、設立から一年半となる2015年7月12日に解散した[10]。
2015年10月15日、同年11月15日の大田原市議選挙への出馬を表明[5]。1995年以来の定数と同数の立候補者数となったため無投票で当選[12]。議会では無会派となった[13]。
2019年の任期満了に伴う市議選には出馬しなかった。
出典
[編集]- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、83頁。
- ^ a b “千保一夫市長退任” (PDF). 広報おおたわら 平成22年4月15日号. 2016年4月4日閲覧。
- ^ “大田原市長選立候補者の横顔 千保一夫氏(67)無現”. 下野新聞. (2010年3月9日). オリジナルの2010年3月13日時点におけるアーカイブ。 2016年4月4日閲覧。
- ^ “大田原市長に津久井富雄氏 8000票差大勝、初当選”. 下野新聞. (2010年3月15日)
- ^ a b “千保元市長が出馬表明、11月の大田原市議選”. 下野新聞. (2015年10月16日). オリジナルの2015年10月17日時点におけるアーカイブ。 2016年4月4日閲覧。
- ^ “2010とちぎ参院選 日本創新党 山田宏党首 千保一夫氏に出馬要請”. 下野新聞. (2010年5月9日)
- ^ “2010とちぎ参院選 千保一夫氏、日本創新党に返答 出馬要請を辞退”. 下野新聞. (2010年5月12日)
- ^ “大田原に自民党「第2支部」 千保一夫氏代表 市長選しこりか”. 下野新聞. (2013年11月13日)
- ^ “激突 2015とちぎ県議選(5)=大田原 三つどもえ戦い熱く 矢板 現元2氏が因縁の対決”. 下野新聞. (2015年3月26日)
- ^ “断面とちぎ 千保氏らの自民党大田原支部分会が解散 異例の分立一区切り 国政影響で離合集散”. 下野新聞. (2015年7月28日)
- ^ “栃木から51人受章 足尾銅山の世界遺産登録目指し尽力の旭日双光章、元足尾町長の神山勝次さんに聞く”. 産経ニュース. (2014年4月30日) 2016年4月4日閲覧。
- ^ “大田原市議選は20年ぶり無投票 26議員決まる /栃木”. 毎日新聞. (2015年11月10日) 2016年4月4日閲覧。
- ^ “政友・公明3会派に再編 大田原市議会会派固まる 元市町千保氏は無会派”. 下野新聞. (2015年11月21日). オリジナルの2015年11月22日時点におけるアーカイブ。 2016年4月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 千保一夫 (@ts1283ks1839) - X(旧Twitter)