千坂尚親
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛文13年8月5日(1673年9月15日) |
死没 | 延享4年2月1日(1747年3月11日) |
別名 | 景高、與市、對馬、兵部 |
戒名 | 實相院殿円真日尚居士 |
墓所 | 日朝寺 |
主君 | 上杉宗憲→上杉宗房 |
藩 | 米沢藩 江戸家老 |
氏族 | 千坂氏 |
父母 | 父:千坂高房、母:大内源正清(定右衛門)の娘 |
妻 | 市川房行(孫次郎)の娘 |
子 | 千坂安親 |
千坂 尚親(ちさか なおちか)は、江戸時代中期の米沢藩の奉行。
経歴
[編集]元禄12年(1699年)4月29日 家督相続。
宝永4年(1707年)11月4日 侍頭。
宝永6年(1709年)12月18日 奉行。
享保10年(1725年)3月4日 隠居
延享4年(1747年)2月1日 死去
千坂尚親が千坂氏当主だった時期、享保4年(1719年)建立の「那須与一」と「千坂景親」を供養する石塔が米沢市の一花院跡地(米沢市中央5丁目)にある。 千坂氏に那須氏と縁続きと伝承があったようで、上杉謙信・上杉景勝に仕えた先祖千坂景親と那須与一を供養するもの。一花院は後に廃寺となったが、石塔は大切に保存されている[1]。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜」』米沢温故会 1986.1(経歴)