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千坂長朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
千坂長朝
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 寛永16年11月25日1639年12月19日
別名 与一
戒名 善智院帰山玄道居士 
墓所 一花院
官位 対馬守
主君 景勝定勝
出羽米沢藩
氏族 千坂氏
父母 父:千坂景親、母:戸倉氏女
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千坂 長朝(ちさか ながとも)は、江戸時代武士上杉氏重臣の千坂景親の次男。

経歴

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慶長3年(1598年)3月6日越後より会津に移り二千石賜る。米沢に国替えした際、440石賜る。

慶長7年(1602年)2月 直江兼続の呼びかけで亀岡文殊堂にて行われた詩歌会亀岡百首に参加。四首奉納[1]

上杉定勝の代に入り侍組、対馬守に改める。

寛永12年(1635年)12月24日公命を背き改易。寛永16年(1639年)11月25日死去[2]

千坂長朝系譜の明治時代の子孫・千坂親延西南戦争の際に新政府の徴募に応じ、新撰旅団で従軍し、戦死[3]

脚注

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  1. ^ [1]高畠町観光協会作成『亀岡百首』パネル展資料
  2. ^ 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜(1)」』
  3. ^ 「上杉御年譜20」 明治11.4.20付、P504(米沢藩出身者の新撰旅団従軍による戦死者7名の中に記載あり。遺族に藩主から金五円の祭祀料を贈る)。

出典

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  • 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜(1)」』(経歴)
  • 『上杉家御年譜20』