千堂陸軍墓地
表示
詳細 | |
---|---|
所在地 |
福岡県北九州市小倉北区新高田1丁目1番1号 |
国 | 日本 |
種別 | 旧陸軍軍人 |
総面積 | 3852坪(敗戦直後) |
千堂陸軍墓地(せんどうりくぐんぼち)は、北九州市小倉北区にあった旧大日本帝国陸軍墓地である。
概要
[編集]- 企救郡篠崎村字千堂山(現在の北九州市小倉北区新高田)に設けられた旧陸軍墓地。
- 日露戦争で戦死した小倉第12師団など明治以降の戦没者が埋葬されていた[1]が、1942年に平和公園(小倉陸軍墓地)に移設された(遺骨は遺族に返されている[2])。
- 跡地には、1954年に北九州市立南小倉小学校が建てられており、一部史跡が現存している。
関連史跡
[編集]- 常陸丸記念碑
- ロシア兵の墓石2基
脚注
[編集]- ^ “小倉と日露戦争 - 北九州市”. www.city.kitakyushu.lg.jp. 2020年9月1日閲覧。
- ^ 山辺昌彦「[調査研究活動報告 全国陸海軍墓地一覧(1. 陸海軍墓地)]」『国立歴史民俗博物館研究報告』第102巻、国立歴史民俗博物館、2003年3月、696-611頁、doi:10.15024/00001085、ISSN 0286-7400、NAID 120005748310。
- ^ “小倉と日露戦争 - 北九州市”. www.city.kitakyushu.lg.jp. 2020年9月1日閲覧。
- ^ “地方史ふくおか 第115号”. 2020年9月1日閲覧。
- ^ ですかばあ北九州 石碑は語る. 櫻の森通信社. (2017年10月)
参照
[編集]- 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04026787400、「大日記 官省使庁府県送達 8月土 陸軍省第1局」(防衛省防衛研究所)」- 内務へ豊前国篠崎村地所の義照会(明治9年8月)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04026840100、「大日記 送達の部 11月土 陸軍省第1局」(防衛省防衛研究所)」 - 「正院へ小倉火薬庫並埋葬地御渡伺」(明治9年11月)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04027415800、「大日記 砲兵工兵方面 5月木 陸軍省第1局」(防衛省防衛研究所)- 「6方より小倉火薬庫地並埋葬地買上入費伺」(明治10年5月)