千川古墳
表示
千川古墳 | |
---|---|
墳丘・石室開口部 | |
別名 | 千川1号墳 |
所属 | 千川古墳群 |
所在地 | 広島県安芸高田市吉田町多治比 |
位置 | 北緯34度41分10.95秒 東経132度39分49.70秒 / 北緯34.6863750度 東経132.6638056度座標: 北緯34度41分10.95秒 東経132度39分49.70秒 / 北緯34.6863750度 東経132.6638056度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径17m 高さ1.5-5m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
築造時期 | 7世紀代 |
史跡 | 安芸高田市指定史跡「千川古墳」 |
地図 |
千川古墳(せんがわこふん、千川1号墳)は、広島県安芸高田市吉田町多治比にある古墳。形状は円墳。千川古墳群を構成する古墳の1つ。安芸高田市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]広島県中部、吉田盆地から北方の、多治比川支流の奈良谷川東岸の丘陵上(標高約260メートル)において、丘陵斜面を直径約30メートルの弧状に削り築造された古墳である[1]。一帯に分布する千川古墳群中では最大規模になる。発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径17メートル・高さ1.5-5メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室である。古くから開口するため、石室内の副葬品は詳らかでない[1]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀代と推定される[1]。
古墳域は1977年(昭和52年)に旧吉田町指定史跡(現在は安芸高田市指定史跡)に指定されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:約8メートル
- 玄室:長さ3.8メートル、幅2.2メートル
- 羨道:長さ4.2メートル、幅1.7メートル(玄門部)・1.5メートル(開口部)
玄室の平面形は長方形。天井石は4枚で、中央部を高く構築し、縦断面はドーム状を呈する。玄室と羨道の境は立石を立てて区画する。石室の構築方法には中馬八ッ塚古墳群との類似が認められる[1]。
-
玄室(奥壁方向)
-
玄室(開口部方向)
-
羨道(開口部方向)
-
羨道(玄室方向)
-
開口部
文化財
[編集]安芸高田市指定文化財
[編集]- 史跡
- 千川古墳 - 1977年(昭和52年)2月3日指定。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(旧吉田町教育委員会、1996年設置)
- 「千川古墳」『広島県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系35〉、1982年。ISBN 4582490352。
- 「千川1号古墳」『探訪・広島の古墳』芸備友の会、1991年。ISBN 4490102607。
外部リンク
[編集]- 千川古墳 - 安芸高田市ホームページ