千田謙蔵
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千田 謙蔵 ちだ けんぞう | |
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生年月日 | 1931年10月22日(93歳) |
出生地 | 秋田県横手市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲三等瑞宝章 |
横手市長(旧) | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1971年 - 1991年 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1959年 - 1971年 |
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日[1] - )は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。
来歴
[編集]秋田県横手市生まれ。旧制横手中学(現・秋田県立横手高等学校)、同弘前高校(同・弘前大学文理学部)を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。
卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。
1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。
市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ[2]、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
市長引退後はドイツ国内で「滞在視察」を実施、農業や環境を中心に学び、EU圏内でも「持続可能な社会」への転換が始まっていることを実感する[3]。その後、自治大学校講師、地方分権推進委員会委員などを経て、2002年からは特定非営利活動法人「横手ひらかNPOセンター」理事長を務める。
2008年8月5日、千田ら秋田県内で市町村長を経験した8名が呼びかけ人となり、「政党政派をこえ、九条を守る」ことを目的として「憲法九条を守る秋田県市町村長の会」を結成した[5]。
著書
[編集]- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(ぎょうせい、1981年8月)
- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(続)(ぎょうせい、1986年)
- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(3)(ぎょうせい、1991年1月)
- 『迫る地方分権、がんばれ自治体-小さくともキラリと』(ぎょうせい、1998年5月)
- 『ポポロ事件全史』(日本評論社、2008年5月)
- 『人類が戦争と決別する日』(自費出版、2018年)[6]
脚注
[編集]- ^ 上田 2001, 1213頁.
- ^ 千田謙蔵『ポポロ事件全史』、日本評論社、2008年5月、523p.
- ^ 前掲書524p.
- ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
- ^ 秋田に市町村長9条の会/8氏呼びかけ/現・元首長19人賛同
- ^ “不戦、核廃絶訴え冊子出版 元横手市長・千田さん”. 秋田魁新報. (2018年2月20日) 2018年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。