遠野馬の里
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(千葉幹夫 (馬術)から転送)
遠野馬の里(とおのうまのさと)は、岩手県遠野市にある競走馬、乗用馬育成調教施設である。1998年(平成10年)に日本初の乗用馬生産施設として設立された[1]。運営者は社団法人遠野市畜産振興公社。
事業
[編集]馬産地である遠野の、馬を主体とした活性化を図る。
- 競走馬の育成調教施設管理・運営
- 最大160頭入厩可能な厩舎を持ち、新馬の調教、競走馬の訓練をする競走馬預託業務を行う。
- 乗用馬の育成調教
- 地元産馬を1年間調教し、乗用馬市場に上場する馬事総合振興基金事業や、一般の乗用馬を預かり調教、休養する預託業務を行う。
- 乗用馬・農用馬の繁殖改良
- 乗用に適したウェストファーレン種、アングロアラブ種、トラケーネン種、農用に適したブルトン種の種馬による繁殖種付業務を行う。
- 乗用馬ふれあい事業
- 乗馬教室、ポニー・馬の引き馬や馬車の体験、障害者乗馬体験事業の他、近隣の教育機関等に出張ふれあいサービスの提供を行う。
千葉幹夫
[編集]遠野馬の里苑長を務める千葉幹夫(ちば みきお、1935年5月1日-2015年12月8日)は、オリンピック総合馬術の選手として活躍した馬術家である。
北海道大学馬術部で馬術を始め、獣医として就職した日本中央競馬会でも競技を続けた[2]。総合馬術の選手として出場した1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは34位(乗馬:真歌)、1968年(昭和43年)のメキシコシティオリンピックでは失権(乗馬:ジョセフィン)の成績を残す[3]。フランスのソミュール騎兵学校の教官で、メキシコシティオリンピックの障害馬術選手である騎兵大尉ピエール・デュランが講師として半年間来日した[4]際に指導を受け、その推薦をもってフランスの奨学金を得てソミュール騎兵学校に学ぶ[2]。その後、後進の指導にあたり、1988年(昭和63年)4月から1989年(平成元年)2月まで馬事公苑苑長を務める[5]。1996年(平成8年)に遠野馬の里の前身である職員養成所の所長として赴任した[2]。「馬は人間の鏡」との考えを持つ[1]。
主な施設
[編集]競走馬育成調教施設
[編集]- 厩舎(8棟、最大160頭が収容可能)
- 走路馬場(一周約1,000m、幅員20m)
- 屋根付坂路馬場(直線約700m、幅員約10mのウッドチップ坂路馬場)
- 逍遥馬道(延長700m、幅員5m)
- 覆馬場(40m×65m (2,600m2))
- 放牧地(50,000m2 (5ha))
- サンシャインパドック
- ウォーキングマシーン(2基)
- ロンギング馬場(屋根なし2棟、屋根付1棟)
- 検疫厩舎
繁殖改良施設
[編集]- 種雄馬厩舎(12頭収容、サンシャインパドック併設)
- 種馬パドック
- 種雌馬厩舎
- 試情場(雌馬の発情状況を観察する施設)
- 種付場
- 診療施設(本交の他人工受精師協会の実証展示を行う)
ホースパーク
[編集]- クラブハウス
- 角馬場(50m×50m)
- 覆馬場
- ふれあい広場
- ホースパーク厩舎(10頭収容)
- トレイルコース(繁殖改良施設の周囲を回る810mのウッドチップコース)
所在地
[編集]岩手県遠野市松崎町駒木4地割120-5
主な施設利用競走馬
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 狩野智彦、毎日新聞岩手2010年1月5日 息吹が聞こえる:遠野物語百年/4 人馬一体の里 /岩手[1](2010年1月21日閲覧)
- ^ a b c 道の駅 遠野風の丘 パハヤチニカ9号[2](2010年1月21日閲覧)
- ^ 日本オリンピック委員会 オリンピック歴代日本代表選手全記録 (2010年1月21日閲覧)
- ^ 福島正(メキシコシティ、ミュンヘンオリンピック障害飛越選手)のセントジョウジライディングクラブサイト[3] (2010年1月21日閲覧)
- ^ 千葉幹夫(監修)『はじめての乗馬』、高橋書店、1989年。ISBN 4-471-14096-5
外部リンク
[編集]座標: 北緯39度23分6.1秒 東経141度33分47.5秒 / 北緯39.385028度 東経141.563194度