半谷恭一
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半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日[1] - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた[2]。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
経歴
[編集]- 1951年 栃木県立栃木高等学校卒業
- 東京大学法学部卒業
- 1955年 司法修習生
- 1957年 東京地方裁判所判事補
- 1977年 東京地方裁判所部総括判事(財政経済部)
- 1981年6月1日 東京高等裁判所判事(ロッキード事件の審理は引き続き担当[3])
- 1987年3月8日 水戸家庭裁判所所長
- 1988年12月19日 宇都宮地方裁判所所長
- 1990年5月7日 東京高等裁判所部総括判事
- 1995年3月1日 退官
- 2003年 勲二等瑞宝章を受章[1]
- 2011年2月5日頃 認知症の妻に絞殺され死亡
人物
[編集]- 父は詩人の半谷三郎である。
- 大学3年次に司法試験に合格した[4]。
- 囲碁が趣味であり、4段の段位を保有している[4]。
- 2011年2月5日頃、認知症の妻に首を絞めて殺害され、死亡した。およそ1年に渡る捜査の末に妻が逮捕されたが、妻は責任能力に問題があるとされ不起訴処分となった。なお、半谷恭一自身も認知症であった[2]。
主な判決
[編集]- 東京地裁部総括判事として
- 所得税法違反及び外国為替法違反に問われた児玉誉士夫、議院証言法違反に問われた小佐野賢治、外国為替法違反及び強要罪に問われた大刀川恒夫らの公判において、次の判決や決定を出した(ロッキード事件児玉・小佐野ルート)。
- 証拠に関する決定
- 判決
- 水戸家裁所長として
- 東京高裁部総括判事として
- 1992年11月16日、稲村利幸元環境庁長官と仕手集団「光進」とのパイプ役を務め、自らも仕手戦に便乗して得た株式譲渡益を隠し、約8億3000万円を脱税した医師の男に対し、一審判決(懲役2年、罰金2億3000万円)を破棄し、懲役1年8月、罰金2億円を言い渡した。
- 1993年11月29日、三越事件において特別背任罪に問われた元社長の岡田茂に対し、一審判決を破棄し、特別背任の一部を無罪とした上で、改めて懲役3年を言い渡した。また、岡田の愛人でアクセサリー会社社長の竹久みちに対して、同様に一審判決を破棄し、懲役2年6月、罰金6000万円を言い渡した。
- 1994年10月3日、角川書店元社長らのコカイン密輸事件で起訴された同社の元カメラマンについて、懲役2年を言い渡した一審判決を支持し、被告人の控訴を棄却した[9]。
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.858
- ^ a b 「『ロッキード』裁判長を絞殺 昨年2月 81歳妻を逮捕、容疑否認」 読売新聞 2012年2月23日
- ^ 「半谷裁判長東京高裁へ ロッキード事件は継続担当」 朝日新聞1981年6月1日
- ^ a b 「半谷恭一氏 宇都宮地裁所長に就任(人) 栃木」 朝日新聞栃木版1988年12月27日
- ^ LEX/DB 27920999
- ^ 京明「刑事訴訟法判例百選〔第10版〕」p.194-195
- ^ LEX/DB 27921064
- ^ 「児玉被告の公訴棄却決定 東京高裁」 朝日新聞1984年1月26日
- ^ 「角川コカイン事件 I被告の控訴棄却/東京高裁」 読売新聞1994年10月4日(記事タイトルに名前が含まれるため修正)