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半谷恭一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日[1] - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた[2]。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。

経歴

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人物

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  • 父は詩人半谷三郎である。
  • 大学3年次に司法試験に合格した[4]
  • 囲碁が趣味であり、4段の段位を保有している[4]
  • 2011年2月5日頃、認知症の妻に首を絞めて殺害され、死亡した。およそ1年に渡る捜査の末に妻が逮捕されたが、妻は責任能力に問題があるとされ不起訴処分となった。なお、半谷恭一自身も認知症であった[2]

主な判決

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東京地裁部総括判事として
  • 所得税法違反及び外国為替法違反に問われた児玉誉士夫議院証言法違反に問われた小佐野賢治、外国為替法違反及び強要罪に問われた大刀川恒夫らの公判において、次の判決や決定を出した(ロッキード事件児玉・小佐野ルート)。
    • 証拠に関する決定
      • 1978年6月29日銀行支店次長が作成した営業店長日誌について刑事訴訟法323条3号該当性を認めて証拠採用する一方、銀行支店長が作成した個人的当用日記について同号該当性を認めず証拠取調請求を却下する決定をした[5]。この決定は、323条3号該当性の判断手法について客観的な基準を示した点に意義がある[6]
      • 1979年4月5日、弁護人による証拠開示の申立てを認め、アメリカ合衆国司法省から東京地裁裁判官宛に送付された日記抄本の一部につき弁護人に閲覧機会を付与する決定をした[7]
    • 判決
      • 1981年11月5日、小佐野に対し、懲役1年の実刑判決を言い渡した。
      • 同日、大刀川に対し、懲役4月・執行猶予2年の判決を言い渡した(ただし強要の点は無罪)。
      • なお、児玉の審理は小泉祐康裁判長に引き継がれたが、1984年1月25日、児玉の死亡により一審判決が出されないまま公訴棄却が決定された[8]
水戸家裁所長として
  • 1988年10月7日、記憶喪失者による就籍許可の申立てについて、二重に戸籍が作成されることになる可能性を許容し、自己申告した氏名による就籍を認める決定をした(就籍許可申立事件)。
東京高裁部総括判事として

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.858
  2. ^ a b 「『ロッキード』裁判長を絞殺 昨年2月 81歳妻を逮捕、容疑否認」 読売新聞 2012年2月23日
  3. ^ 「半谷裁判長東京高裁へ ロッキード事件は継続担当」 朝日新聞1981年6月1日
  4. ^ a b 「半谷恭一氏 宇都宮地裁所長に就任(人) 栃木」 朝日新聞栃木版1988年12月27日
  5. ^ LEX/DB 27920999
  6. ^ 京明「刑事訴訟法判例百選〔第10版〕」p.194-195
  7. ^ LEX/DB 27921064
  8. ^ 「児玉被告の公訴棄却決定 東京高裁」 朝日新聞1984年1月26日
  9. ^ 「角川コカイン事件 I被告の控訴棄却/東京高裁」 読売新聞1994年10月4日(記事タイトルに名前が含まれるため修正)