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卓渓郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
卓渓から転送)
花蓮県の旗 花蓮県 卓渓郷
別称: 乾渓・太平
地理
位置 北緯23°20'
東経121°17'
面積: 1,021.3130 km²
各種表記
繁体字: 卓溪
日本語読み: たっけい
拼音: Zhuóxī
注音符号: ㄓㄨㄛˊㄒㄧ
片仮名転写: ジュオシー
台湾語: Toh-khe
客家語: Tsok-hâi
ブヌン語: Takkei
行政
行政区分:
上位行政区画: 花蓮県の旗 花蓮県
下位行政区画: 6村106鄰
卓渓郷長: 呂必賢
公式サイト: 卓渓郷公所
情報
総人口: 6,193 人(2015年1月)
世帯数: 1,680 戸(2015年1月)
郵便番号: 982
市外局番: 03
卓渓郷の木: -
卓渓郷の花: -
卓渓郷の鳥: -
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卓渓郷(ジュオシー/たっけい-きょう)は台湾花蓮県

地理

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卓渓郷は花蓮県南西部に位置し、北は万栄郷と、東は瑞穂郷玉里鎮富里郷と、西は南投県信義郷高雄市桃源区と、南は台東県海端郷とそれぞれ接し、県内で面積第2位、全国でも第5位の郷鎮である。中央山脈上に位置するため、郷内の95%以上が山地となり、地勢は極めて厳しく、平地は中央山脈東麓の河谷平原が存在するのみである。住民の多くは原住民であるブヌン族であり、その他少数ながらタイヤル族タロコ族が居住している。

歴史

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卓渓郷は旧名を「乾渓」と称し、本地の渓流が降雨時以外は干上がるために命名された。ブヌン族は18世紀中期に中央山脈東側のこの地に移動し定住していた。日本統治時代中期に原住民に対する集団移住政策が採用され、1933年には八通関沿いのターフン社、タルナス社が現在の卓渓郷の地域に集団移住をし、警察による統治を受けていた。現在の集落の大部分はこの時の集団移住により形成された。戦後当初は玉里鎮富里郷の管轄とされたが、1946年に分割され「太平郷」が設置された。その後同名の郷鎮が存在したことから1950年に「卓渓郷」と改称され現在に至っている。

経済

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行政区

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崙山村、立山村、太平村、卓渓村、卓清村、古風村

歴代郷長

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氏名 任期

教育

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国民中学

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国民小学

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交通

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種別 路線名称 その他
省道 台30線 玉長公路

観光

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八通関越道路開鑿記念碑