南仙笑楚満人
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南仙笑 楚満人(なんせんしょう そまひと、1749年(寛延2年)- 1807年4月16日(文化4年3月9日))は、江戸時代中期から後期にかけての戯作者。本姓は楠氏、通称は彦太郎。別号に仙人、志筍坊等。没後に為永春水が2代目南仙笑楚満人の筆名も使用したため、「初代」として区別される。
経歴・人物
[編集]江戸の生まれ。芝の宇田川町に住み、家業を営んだが、医師、書店、鞘師等多くの諸説があり、一定しない。
その後戯作に転じ、1783年(天明3年)に黄表紙を初めて刊行した。その後執行された寛政の改革の評判を題材とした戯作物を刊行し、一躍名を馳せた。作風はありふれていたが、評判は秀才であり敵討物の草双紙を使用した黄表紙を刊行し、作品数は300余にも上っている。これによって、1803年(享和3年)からは毎年10種の黄表紙を執筆し始めた。
主な作品
[編集]代表的な黄表紙
[編集]その他の黄表紙
[編集]そのうち、下記の二つは品川細見との共著とされている。