南島原市立深江小学校
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南島原市立深江小学校 | |
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北緯32度43分23秒 東経130度21分15秒 / 北緯32.723194度 東経130.354028度座標: 北緯32度43分23秒 東経130度21分15秒 / 北緯32.723194度 東経130.354028度 | |
過去の名称 |
第五大学区第三中学区深江小学校 第五大学区第二中学区深江小学校 南高来郡島原部深江小学校 深江学区公立中等深江小学校 深江学区尋常深江小学校 深江尋常小学校 深江尋常高等小学校 深江村深江国民学校 深江村立深江小学校 深江町立深江小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 南島原市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)10月 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
馬場分校 諏訪分校 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001946 |
所在地 | 〒859-1504 |
長崎県南島原市深江町丁3168番地(本校) | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
南島原市立深江小学校(みなみしまばらしりつ ふかえしょうがっこう)は、長崎県南島原市深江町丁に本校を置く公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)開校。数回の改称を経て2006年(平成18年)に現校名となった。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。分校を2校有する。
- 学校教育目標
- 「夢・いのち輝く日本一元気な学校」
- 校章
- 旧深江町の町章に「小」の文字を表すため、4本線を入れている。
- 校歌
- 1961年(昭和36年)に制定。作詞は市瀬正生、作曲は山口健作による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「深江」が登場する。
- 分校
- 馬場分校 - 〒859-1503 南島原市深江町丙751番地 (北緯32度42分59.6秒 東経130度20分53.7秒 / 北緯32.716556度 東経130.348250度)
- 諏訪分校 - 〒859-1504 南島原市深江町丁5340番地 (北緯32度44分9.0秒 東経130度21分50.5秒 / 北緯32.735833度 東経130.364028度)
- 校区
- 南島原市深江地区の「立横馬場、川原、八立、本町、上町、折口、須ノ崎、川端、天ノ木、中島、船川、下市場、上市場、大木、芝所、若葉台、松山、中原、下瀬野、中瀬野、上瀬野、柴原、川原端」。中学校区は南島原市立深江中学校[1]。
- 以上の校区の3-6年生はすべて深江小学校本校に通学する。
- 以上の校区のうち、立横馬場、川原、八立、本町、上町、折口、須ノ崎、川端、天ノ木、中島、船川の1-2年生は馬場分校に通学する。
- 以上の校区のうち、下瀬野、中瀬野、上瀬野、柴原、川原端の1年生は諏訪分校に通学する。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)10月 - 深江村馬場名に「第五大学区 第三中学区[2] 深江小学校」が開校。
- 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改正[3]により、「第五大学区第二中学区[4]深江小学校」に改称。
- 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡 島原部[5] 深江小学校」となる。
- 1883年(明治16年)10月 -「深江学区 公立中等深江小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「深江学区 尋常深江小学校」(修業年限4年)に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、深江村立の小学校となる。
- 1892年(明治25年)9月 - 小学校令の改正により、「深江尋常小学校」(修業年限4年)に改称(「尋常」の位置が変更になる)。
- 1901年(明治34年)9月 - 諏訪名百間馬場(現在地)に校舎を新築し移転を完了。旧校舎を馬場分教場とする。
- 1902年(明治35年)12月 - 第二校舎が完成。
- 1903年(明治36年)4月 - 高等科(修業年限4年)を併置し「深江尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科1年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
- 修業年限が尋常科4年・高等科4年から「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
- 1909年(明治42年)4月 - 馬場分教場を改築。
- 1913年(大正2年)1月 - 諏訪分教場を新設。
- 1917年(大正6年)4月 - 「深江農業補習学校」が併設される。
- 1924年(大正13年)4月 - 高等科(2年)修了者を対象に補習科(修業年限1年)を設置。
- 1926年(大正15年)7月 - 併設の農業補習学校が「青年訓練認定 深江農業補習学校」となる。
- 1937年(昭和12年)4月 - 併設の補習科が布津青年学校に改組される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「深江村深江国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1955年(昭和30年)1月 - 水道を設置。
- 1960年(昭和35年)10月 - 諏訪分校に上水道設備が設置される。
- 1961年(昭和36年)10月 - 校歌を制定。
- 1962年(昭和37年)5月3日 - 深江町の発足により、「深江町立深江小学校」に改称。
- 1970年(昭和45年)5月 - 校舎改築工事(第一期)を開始。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)10月 - 仮設校舎での授業を終了し、校舎に復帰[6]。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立深江小学校」(現校名)に改称。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 本校 - 島鉄バス 加津佐・有家・島原駅線など 「宮ノ前」バス停
- 馬場分校 - 島鉄バス 加津佐・有家・島原駅線など 「深江舟津」バス停
- 諏訪分校 - 島鉄バス 加津佐・有家・島原駅線 「深江老人ホーム前」バス停
- 最寄りの国道
- 国道251号(島原街道)
- 最寄りの鉄道駅
周辺
[編集]- 本校
- 南島原市立深江埋蔵文化財管理室
- 南島原市立深江中学校
- 南島原市立深江体育館
- 諏訪神社
- 南島原市役所 深江庁舎(旧・深江町役場)
- 南島原市立深江図書館
- 南島原市立深江衛生センター
- 長崎県警察 南島原警察署 深江警察官駐在所
- 十八親和銀行深江支店
- 馬場分校
- 十八親和銀行深江中央支店
- 諏訪分校
- 瀬野簡易郵便局
参考資料
[編集]- 「深江町郷土誌」(1971年(昭和46年)10月1日発行, 深江町郷土誌編纂委員会)p.454 -
- 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「深江町」
脚注
[編集]- ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
- ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
- ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
- ^ a b 「長崎県教育史(昭和51年-平成9年)」(1998年(平成10年)3月31日発行,長崎県教育委員会)p.887
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 南島原市立深江小学校 - 南島原市教育委員会ウェブサイト