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南阿豆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南 阿豆(みなみ あず)は、舞踏家ダンサー。身体での表現者。茨城県出身[1]武蔵野美術大学[2]

略歴[編集]

8人家族の専業農家に生まれ、畑や田んぼ、山で幼少期を過ごす。 先天性の心臓病を患っており、生きられても20歳までと言われるが6歳の時に手術に成功し、後遺症もなく育つ。そのため、周囲は心配し運動という運動を避けさせたこともあり、踊りを始めるまで運動することの喜びをあまり理解できなかった。 家で絵をほぼ毎日描いていたことから、大人になったら漫画家になりたかった。

高校生の時に美大を目指しデッサン講習を受けるが、挫折。 VJや映像制作に興味があったけれど、映画館でバイトをした際、あまりにも金銭的に厳しい業界ということを思い知らされ、生活のためにグラフィックデザイナーの道を選ぶ。 仕事をしていく中で終電・徹夜の日々で、このままデザイナーとして人生が終わるのかと感じた時、働きながらの通信教育という形で、武蔵野美術大学へ通う道を選ぶ。美大の勉強にもなるかと、デザインフェスタのボランティアスタッフをした際に舞踏グループに出会い、衝撃を受ける。

健康のために身体ワークショップに行った際、それが舞踏家によるもので、舞踏、ヨガ、古武術、野口体操などを行うと書かれていたチラシを見て、そこに書かれていたことはほとんど経験もなく、よく理解せずに舞踏を始めた。 舞踏が日本の現代美術(前衛芸術)と深い繋がりがあったことにとても興味をそそられ、踊り続けるきっかけとなった。

震災の翌年、自身の手術の傷跡と震災後の傷跡とのイメージから、2012年4月自主企画ソロ舞踏作品『Scar TissueⅠ』『Scar TissueⅡ』を発表。その2作品で舞踊批評家協会新人賞を受賞[3][2]

写真家Abe Frajndlichとのコラボレーションは、NY、イタリア、日本、ドイツにて撮影や舞踏ワークショップを行う。

2022年、韓国にてNDA(New Dance for Asia)International Festival、準優勝にあたるNDA賞受賞[2][4]

舞台やギャラリーなどでの活動の他、誰でもできる(子供たちなど)舞踏ワークショップやBig famiy Tokyoとしてのコミニティーダンスやヨガインストラクターを行う。

出典[編集]

  1. ^ ジャングル・インディペンデンス〜ダンスと音楽とビデオのコラボレーションフェス〜 CAMPFIRE 2015年4月24日クラウドファンディング募集記事
  2. ^ a b c 南阿豆PROFILE JCDNホームページ 2024年6月13日閲覧
  3. ^ 【笠井叡・麿赤兒、花柳壽輔ら】『第44回舞踊批評家協会賞・新人賞』決定 舞台製作PLUS 2013年3月20日付記事
  4. ^ 第108回 「『韓国のアフリカ』でダンスフェス」 クラシック音楽情報誌ぷらあぽ 2013年10月号P155

外部リンク[編集]