卞宝第

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卞 宝第(べん ほうだい、Bian Baodi1825年 - 1893年)は、末の官僚。字は頌臣江蘇省儀徴県出身。

1851年挙人となり、刑部主事、郎中、浙江道監察御史を歴任した。1862年、順天府尹となり巨盗の王景漋らを捕えた。1867年、河南布政使から福建巡撫に昇進した。当時の福建省太平天国の乱が鎮圧されて間もなく、匪賊が横行していたが、その鎮圧に尽力した。

1882年、湖南巡撫に起用され、哥老会の首領たちを捕えた。その後湖広総督代理となったが、清仏戦争が勃発すると長江の防衛にあたった。1885年、湖南巡撫に戻り、洋務運動緑営兵の削減を推進した。1888年閩浙総督兼福建船政大臣に就任した。1892年、引退。著書に『卞制軍奏議』がある。

出典[編集]

先代
李福泰
福建巡撫
1867-1870
次代
何璟
先代
涂宗瀛
湖南巡撫
1882-1883
次代
潘鼎新
先代
涂宗瀛
湖広総督
1883-1885
次代
裕禄(ユル)
先代
龐際雲
湖南巡撫
1885-1888
次代
王文韶
先代
楊昌濬
閩浙総督
1883-1885
次代
譚鍾麟