印在謹
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韓国の政治家 印在謹인재근(イン・ジェグン) | |
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生年月日 | 1953年11月11日(70歳) |
出生地 | 京畿道江華郡(現・仁川広域市江華郡) |
出身校 | 梨花女子大学校 |
所属政党 |
(民主統合党→) (民主党→) (新政治民主連合→) 共に民主党 |
称号 | ロバート・ケネディ人権賞 |
配偶者 | 金槿泰 |
公式サイト | ijk.or.kr |
選挙区 | ソウル特別市道峰区甲選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2012年5月30日 - 2024年5月29日 |
印 在謹(イン・ジェグン、朝鮮語: 인재근、1953年11月11日 - )は、韓国における社会運動家、政治家である。夫は2011年12月に他界した韓国民主化運動の指導者で政治家であった金槿泰。
歩み
[編集]梨花女子大学校社会学科在学中から民主化運動に参加、1980年代の所謂第五共和国(全斗煥政権)時代は在野の民主化運動組織である民主化実践家族運動協議会(民家協)や民主統一民衆運動連合(民統連)で活動した。金槿泰が1985年に逮捕された際、警察での取調中に電気拷問が行われた事実を暴露するなど、逮捕投獄されることが多かった金槿泰の活動を献身的に支えた。1987年には金槿泰とともにロバート・ケネディ人権賞を受賞した[1][2]。2011年12月に金槿泰が拷問によって生じたパーキンソン病で他界した後、彼の意志を引き継ぐ形で民主統合党から12年4月に行われた総選挙に出馬[3]、初当選を果たした。
2014年3月に民主党と新政治連合が合同して結成された新政治民主連合では、7月の国会議員再補選惨敗後に党立て直しを図るため同年9月に発足した臨時党指導部(非常対策委員会)を構成する委員に任命された[4]。
2024年2月14日に同年の第22代総選挙への不出馬を表明した[5]。
経歴
[編集]1953年11月11日:京畿道江華郡(現・仁川広域市江華郡)の喬桐島[6]にて出生
- 梨花女子大社会学科卒
- 民家協総務(前)
- 梨花女子大民主同友会会長(前)
- 民主争取国民運動本部常任執行委員(前)
- 韓半島財団理事長(現)
- 愛の練炭分かち合い運動理事(現)
- 愛の仲間達運営委員長(現)
- 人権医学研究所理事(現)
- 統一迎え理事(現)
- 道峰希望奉仕団団長(現)
- 緑色環境運動指導委員(現)
- 新政治民主連合非常対策委員(現)
- 出典:프로필(プロフィール)印在謹ホームページ(2013年2月16日閲覧)
脚注
[編集]- ^ ““民主化運動の大物”金槿泰顧問が他界”. 韓国速報. (2011年12月30日) 2013年2月16日閲覧。
- ^ 1987: Kim Keun Tae & In Jae Keun, South Korea.Robert F. Kennedy Center for Justice and Human Rights. Retrieved 4 July 2012.
- ^ “‘김근태 이름으로’ 인재근 도봉갑 출마(‘金槿泰の名をもって’印在謹道峰甲から出馬)”. ハンギョレ. (2012年2月21日) 2013年2月16日閲覧。
- ^ “野 비대위, 계파 수장 협의체로 구성(野非対委、派閥首長合議体で構成)”. 聯合ニュース. (2014年9月21日) 2015年1月18日閲覧。
- ^ 신준명 (2024年2月14日). “민주당 3선 인재근, 총선 불출마 선언‥"통합 공천 기대"” (朝鮮語). MBC 뉴스. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “내 묘비명은 인권운동가였으면 좋겠네” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2012年12月14日). 2022年11月9日閲覧。
参考文献
[編集]- “김근태의 '비밀병기' 인재근 "2012년을 점령하겠다"「인터뷰」 민주주의자 故 김근태의 '바깥사람' 인재근(金槿泰の‘秘密兵器’印在謹“2012年を占領したい”「インタビュー」民主主義者 故・金槿泰の‘外の人’印在謹)”. プレシアン. (2012年1月22日) 2013年2月16日閲覧。
- “"민주주의 위해 희생한 고운 분…고문경관 神만이 용서할 수 있어"”. 韓国日報. (2012年1月16日) 2013年2月16日閲覧。
- 인재근 국회의원(印在謹国会議員)。大韓民国国会議員紹介(国会ホームページ)