原五郎
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原 五郎 | |
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生誕 |
1886年(明治19年)1月21日 日本、東京府 |
死没 | 1940年(昭和15年)10月31日 |
所属組織 | 日本海軍 |
軍歴 | 1908年(明治41年) - 1940年(昭和15年) |
最終階級 | 海軍中将 |
原 五郎(はら ごろう、1886年1月21日 - 1940年10月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]東京府出身。1907年(明治40年)11月、海軍兵学校(35期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍大学校乙種学生を経て、海軍水雷学校高等科を卒業し、1913年(大正2年)12月、「比叡」分隊長に就任し、臨時青島要港部参謀、第3戦隊参謀、第2艦隊参謀を経て、1919年(大正8年)12月、海大(甲種17期)を卒業、海軍少佐に昇進し第3水雷戦隊参謀となった。以後、横須賀海軍航空隊付、欧米各国出張、横須賀鎮守府付を経て、海軍省軍務局員兼教育局員に発令され、1923年(大正12年)12月、海軍中佐に進級。1924年(大正13年)12月、軍務局員に就任し、欧米各国出張を経て、海軍航空本部技術部員となり、1927年(昭和2年)12月、海軍大佐に昇進した。
1928年(昭和3年)12月、「鳳翔」艦長に就任し、横須賀空司令、兼「赤城」艦長、「龍驤」艤装員長、横須賀鎮守府付、海軍航空廠総務部長、「加賀」艦長、横須賀鎮守府付などを歴任し、1933年(昭和8年)11月、海軍少将に進級し、艦政本部造船造兵監督官兼海軍航空本部造兵監督官となった。以後、艦政本部造船造兵監督長、航空本部技術部長を歴任し、航空廠長に発令され、1937年(昭和12年)12月、海軍中将に進んだ。1938年(昭和13年)11月、馬公要港部司令官に着任し、舞鶴要港部司令官、舞鶴鎮守府司令長官を務め、1940年(昭和15年)4月、軍令部出仕となり、同年10月に死去。
栄典
[編集]- 1909年(明治42年)3月1日 - 正八位[1]
- 1914年(大正3年)1月30日 - 正七位[2]
- 1937年(昭和12年)12月15日 - 従四位
- 1939年(昭和14年)12月28日 - 正四位
- 1940年(昭和15年)10月31日 - 従三位[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。