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原田宗馭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原田 宗馭(はらだ そうぎょ、弘治2年(1556年) - 寛永15年5月26日1638年7月7日))は、安土桃山時代後期から江戸時代前期の武士。茶人。幕府御茶道頭、御数寄屋頭。原田常通(芦隠斎)の子。通称清次郎。官途左馬允。諱は維利(これとし)。

生涯

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弘治2年(1556年)に生まれる。小早川秀秋の家臣となるが浪人し、茶の湯古田織部に学んで極める。慶長9年(1604年)、旗本鵜殿重長(慶長18年(1613年)に改易・切腹)の紹介で、織部流茶人でもある将軍徳川秀忠に御茶道(堂)として仕え、破格の現米70石を給される。ちなみに、元和2年(1616年)徳川家康没後の駿府引き揚げ時、御茶道頭であった中野笑雲(織部門下)は江戸に宅地と現米50石が与えられている。

元和9年(1623年)、大御所秀忠の命で御数寄屋頭となり、徳川家光に仕える。宗馭は、御数寄屋組頭・数寄屋坊主露次の者を統括した。寛永15年(1638年)5月26日没、83歳。

参考文献

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  • 『寛永諸家系図伝 第15』続群書類従完成会、1994年
  • 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年