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原茂 (労働運動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原 茂(はら しげる、1920年1月8日 - 2007年12月23日)は、昭和から平成時代の労働運動家日本炭鉱労働組合(炭労)委員長。

経歴

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北海道夕張市生まれ。1935年夕張市鹿の谷高等小学校卒業。北海道の中小炭鉱に入り、兵役を経て[1]、1944年北海道炭礦汽船平和鉱業所に入社[2]。1946年平和炭鉱労組書記長、1947年同労組委員長。1950年北海道炭鉱汽船労働組合連合会(北炭労連)副委員長。1951年日本炭鉱労働組合(炭労)副委員長[3]。1952年の破防法をめぐる炭労の左右対立では左派を代表する立場にたち、同年の炭労スト、1953年の三井炭鉱労連の「英雄なき113日の闘い」などを指導。1956年炭労委員長となり、1959年から1960年の三井三池闘争を指導したが、最終的に中労委の藤林斡旋案(会社は指名解雇を撤回し、該当者は自発的に退職する)を受諾して、炭労は敗北した。三池闘争後は石炭政策転換闘争を指導[2]。1962年5月健康上の理由で炭労委員長を退任[4]、炭労顧問[1]。この間、1955年の高野実総評事務局長の退陣後、労働者同志会に参加[5]。1961年総評社会党員全国連絡協議会代表幹事[6]。1964年総評顧問。1952年から1988年まで断続的に中央労働委員会(中労委)、公共企業体等労働委員会(公労委)委員を歴任[1]。労働者教育の分野でも活動。社会党内の構造改革論争では構造改革路線を支持[7]

2007年12月23日、老衰のため東京都板橋区の病院で死去、87歳[8]

著書

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脚注

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  1. ^ a b c 原茂、近藤完一「エネルギ-革命-8-闘う炭労への道(戦後産業史への証言-8-)」『エコノミスト』54巻8号、1976年2月
  2. ^ a b 高木郁朗「原茂」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、1321頁
  3. ^ 「月刊労働組合」編集部編『戦後労働運動を生きる』労働大学、1995年
  4. ^ 日本労働組合総評議会編『総評二十年史 下』労働旬報社、1974年
  5. ^ 労働運動史編纂委員会編『総評労働運動の步み』総評資料頒布会、1975年
  6. ^ 労働省編『資料労働運動史 1961』労務行政研究所、1963年
  7. ^ ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅵ――安保と三池の決戦から同盟、JCの結成へ』教育文化協会、発売:第一書林、1999年
  8. ^ 【印刷用】原茂氏死去/元日本炭鉱労働組合委員長 四国新聞社(2007年12月27日)

外部リンク

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