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友枝高彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
友枝 高彦
人物情報
生誕 (1876-11-04) 1876年11月4日
日本の旗 日本福岡県
死没 1957年7月7日(1957-07-07)(80歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 哲学倫理学
研究機関 京都帝国大学東京高等師範学校東京文理科大学都留文科短期大学
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友枝高彦(豊前市のウェブサイトより)
文部省教学局編、友枝高彦著『日独文化交渉史の回顧』教学叢書第3輯、内閣印刷局、昭和13年刊

友枝 高彦(ともえだ たかひこ、1876年11月4日1957年7月7日)は、日本倫理学者

経歴

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1876年、福岡県上毛郡大村(現 豊前市大村)の大庄屋の家に生まれた。豊津中学校第五高等学校を経て、1901年東京帝国大学文科大学哲学科に進んだ。学部卒業の後、同大学大学院に進んだ。

1908年、京都帝国大学助教授に任ぜられる[1]。研究のため、英国米国ドイツで学ぶ。1914年に帰国し、東京高等師範学校教授となった。1916年からは東京帝国大学教授を兼ねた。1929年、東京文理科大学教授となり、日本女子大学教授を兼任した。1949年に退任し、東京教育大学[2]名誉教授となった。

戦後の1955年、山梨県立臨時教員養成所を母体に都留市立都留文科短期大学(都留短期大学)が設立されると、初代学長となった。[3]

研究内容・業績

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著作

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著書

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翻訳

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  • フランク・チルリー『倫理学概論』金港堂書籍、1903年
  • トーマス・ヒル・グリーン『グリーンとその倫理学』近藤兵庫共訳 培風館、1932年

寄稿

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  • 『新しき世界の秩序と新しき道德』台湾青年 第四巻第二期、1921年

参考文献

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  • 大越忠光:友枝高彦 (明治9年〜昭和32年). Hoppner, Inge / Sekikawa Fujiko (ed.): Brückenbauer: Pioniere des japanisch-deutschen Kulturaustausches - 日独交流 の架け橋を築いた人々. München: Iudicium, 2005, pp. 118-121 (ドイツ語・日本語)

脚注

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  1. ^ 『京大文学部の百年』
  2. ^ 新制東京教育大学の設立により東京文理科大学 (旧制)はとりこまれ、「東京教育大学東京文理科大学」となった。
  3. ^ 20世紀日本人名事典

外部リンク

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