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取星寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
取星寺

本堂
所在地 徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇字松ノ本71
位置 北緯33度56分41.35秒 東経134度36分14.47秒 / 北緯33.9448194度 東経134.6040194度 / 33.9448194; 134.6040194座標: 北緯33度56分41.35秒 東経134度36分14.47秒 / 北緯33.9448194度 東経134.6040194度 / 33.9448194; 134.6040194
山号 妙見山
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
創建年 (伝)延暦11年(792年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 妙見山 取星寺
札所等 四国八十八箇所19番奥の院
阿波七福神(福禄寿)
文化財 木造阿弥陀如来坐像(県文化財)
法人番号 8480005004478 ウィキデータを編集
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取星寺(しゅしょうじ)は、徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇に所在する寺院。山号は妙見山で、宗派は高野山真言宗。本尊は虚空蔵菩薩四国八十八箇所第十九番立江寺奥の院、阿波七福神霊場札所・福禄寿

概要

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明現神社

寺伝によれば、平安時代初期の延暦11年(792年)に空海(弘法大師)が太龍の峰(現・太龍寺)で修法中に、地上に厄災を及ぼす妖星が現れた。空海が秘法を用いると妖星が地上に落ち松の木に引っかかった。空海がその星を拾い、妙見菩薩と虚空蔵菩薩を刻んでこの地に納めたと伝わる。

南北朝時代至徳元年(1384年)、増吽上人が鹿島大明神・香取大明神を勧進し妙見宮を建立したと言われる。明治時代神仏分離令により取星寺と明現神社とに分離された。

寺域には、明現神社と、福禄寿を祀る星三宝大荒神王がある。

なお、「四国十九番奥之院」と「阿波七福神霊場」の納経及び御影の授与は寺務所にて行なっているが、住職不在の場合は書き置きが入った箱が用意されているので、書き置きの納経を頂くようになっている。

文化財

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県指定有形文化財
阿南市指定有形文化財
  • 半鐘:昭和57・8・2指定
阿南市指定史跡
  • 新四国霊場:昭和39・7・13指定

前後の札所

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四国八十八箇所
19 立江寺 -- 19番奥の院 取星寺 -- 20 鶴林寺

ギャラリー

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参考文献

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  • 徳島史学会 編『新版 徳島県の歴史散歩』(1刷)山川出版社、1995年、186-187頁。 NCID BN13061014 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 解説編(第7版)、へんろみち保存協力会、2007年。 
  • 現地説明板

外部リンク

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