古ヴェルフ家
古ヴェルフ家(ドイツ語: Haus Alt Welf)は、9世紀から11世紀(1055年)までヨーロッパを支配した王家の一つ。古ヴェルフェン家(Haus Alt Welfen)とも呼ばれる。
この家系はネーデルラント南部のブルグント系とドイツ南部のシュヴァーベン系の2つの異流貴族から成っており、後世に別系統の系譜が接合されたといわれる。ブルグント系とシュヴァーベン系の2家は互いに抗争をしていたが、偶然にも同時期に同じ姓名を持った人物が並存していた。
ブルグント系
[編集]2つの家系のうちの一つがブルグント系である。この家系で知られている最古の人物が初代アルトドルフ伯ヴェルフである。ヴェルフは819年に皇后ユーディトの父として言及されている。ヴェルフの息子であるコンラートとルドルフはフランク皇帝ルートヴィヒ1世の夫となったユーディトの付き人となった。彼の地で兄弟の野心的な精神は世襲の地位を維持し、対照的に幸運なユーディトと同じく幸運を分かち合うことになった。ユーディトが継子らに襲われ監禁された時にコンラートとルドルフは修道士として髪を剃ったが、王座側の地位を求めて受理された。
コンラートには自らの後を継いだコンラート2世と教会内で「修道院長」に昇進したユーグの2人の息子がいた。 伝承によるとコンラートはシュヴァーベン系のヴェルフ1世という3番目の息子を得たと伝わる。
コンラート2世は父から由緒あるパリ伯の地位を継承し、大叔父オトカリウスの所有地であったブルグントを回復した。コンラート2世にはルドルフという唯一の息子がいた。ルドルフは888年にオーガヌウムの修道院にあった王冠を奪い、その独立は皇帝アルヌルフへの2つの勝利で確かなものとなり、アルヌルフ自身も最終的には帝国議会で承認した。ルドルフの息子であるルドルフ2世はフランシュ=コンテ、サヴォワ、ドーフィネ、プロヴァンスと言ったフランスやスイスをも含む新国家を継承し、このラインからアルプスまでの国家はブルグント王国として知られている。ルドルフ2世は2度にわたってイタリアの征服を試み、3年間王国を統治した。
ルドルフ2世の息子のコンラート3世は937年から993年までの56年間、上記の土地を統治し、ザクセン朝の歴代皇帝とは友好関係を築き、支援を繰り返した。神聖ローマ皇帝オットー1世はコンラート3世の姉妹であるアーデルハイト(オットー2世の母、オットー3世の祖母)と結婚した。コンラート3世の後を「病弱王」と呼ばれた息子のルドルフ3世が継いだが、1032年に嗣子無くして没した。
以降のブルグント王国の統治は1034年にコンラート3世の娘ゲルベルガとシュヴァーベン大公ヘルマン2世との間の娘ギーゼラと結婚した神聖ローマ皇帝であるザーリアー朝のコンラート2世に併合されて、神聖ローマ帝国が帯びることになり、次第にブルグント王国は形骸化した。
シュヴァーベン系
[編集]シュヴァーベン系の最古の人物として知られるヴェルフ1世は842年にシュヴァーベン伯として初めて言及される。伝承ではヴェルフ1世はブルグント系の祖で、ヴェルフの息子であるコンラートの息子であると言われている。この関係は、コンラートとヴェルフ1世が共にリンツガウ及びアルプガウ伯になっていることから事実らしい。ヴェルフ1世と後のシュヴァーベン系の一族(ケルンテン公ヴェルフとアルトドルフ伯となった親族)との関係もまた伝承によってのみ知られている。
古ヴェルフ家はケルンテン公ヴェルフが1055年に嗣子無くして没したことにより断絶した。ヴェルフ家の家名はエステ家出身のアルベルト・アッツォ2世・デステとケルンテン公ヴェルフの姉妹クニグンデとの間の子ヴェルフが引き継ぐことになった。この結果、以降は新ヴェルフ家ないしはヴェルフ=エステ家と呼ばれている。
ブルグント系の著名人
[編集]- ヴェルフ1世(? - 825年以前) アルトドルフ伯
- ユーディト(? - 843年) ローマ皇帝ルートヴィヒ1世の皇后
- ルドルフ1世(860年 - 912年) ブルグント王(888年 - 912年)
- ルドルフ2世(880年 - 937年) ブルグント王(912年 - 937年)
- コンラート1世(925年 - 993年) ブルグント王(937年 - 993年)
- ブルグントのアーデルハイト(931年頃 - 999年) 神聖ローマ皇帝オットー1世の皇后
- ルドルフ3世(970年 - 1032年) ブルグント王(993年 - 1032年)
- ブルグントのギーゼラ(950年/960年 - 1007年) バイエルン公ハインリヒ2世妃、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世母
- ベルト・ド・ブルゴーニュ(963年/965年 - 1010年) フランス王ロベール2世妃
シュヴァーベン系の著名人
[編集]- ヴェルフ1世(? - 876年) シュヴァーベン系の祖
- 聖コンラート・フォン・コンスタンツ(900年頃 - 975年) コンスタンツ司教(934年 - 975年)
- ヴェルフ(? - 1055年) ケルンテン公(ヴェルフ3世)、古ヴェルフ家の最後の男子
系図
[編集]ルタルト (? - 790年以前) アルゲンガウ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴェルフ (? - 825年以前) アルトドルフ伯 シュッセンガウ伯 アルゲンガウ伯 | ハイルヴィヒ ・フォン・ザクセン (? - 833年以降) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーディト =ルートヴィヒ1世 | エンマ =ルートヴィヒ2世 | コンラート1世 (? - 863年) オセール伯 シュッセンガウ伯 パリ伯 | アーデルハイト (トゥール伯ユーグ娘) | ロベール豪胆公 ヴォルムスガウ伯 | ルドルフ ポンティユー伯 トロワ伯 サンス伯 | ロデュナ | フロドロ(?) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンラート2世 (? - 876年) オセール伯 | ユーグ (? - 886年) サン=ジェルマン修道院長 ケルン大司教 | ルドルフ | ヴェルフ1世 (? - 876年) アルゲンガウ伯 | ロベール家 カペー家 | コンラート (? - 882年) パリ伯 | ヴェルフ (? - 881年) ポンティユー伯 サンス伯 サント=コロンブ修道院長 | フーゴ | ルドルフ ラエティア辺境伯 | リウトフリト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルドルフ1世 (860年 - 912年) ブルグント王 | ウィラ (プロヴァンス王ボソ娘) | アーデルハイト =ブルゴーニュ公リシャール | エティコ (? - 910年頃) アルゲンガウ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルドルフ2世 (880年 - 937年) ブルグント王 | ベルタ (シュヴァーベン公ブルヒャルト2世娘) | ハインリヒ (黄金車の) (? - 934年以降) | アタ・フォン・ホーエンヴァルト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンラート (925年 - 993年) ブルグント王 | アーデルハイト (931年頃 - 999年) =オットー1世 | エティコ バイエルンの伯 | ルドルフ1世 (? - 940年以降) | コンラート (925年 - 993年) コンスタンツ司教 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギーゼラ (950年頃 - 1007年) =ハインリヒ2世 | ベルト (964年頃 - 1010年) =ロベール2世 | ルドルフ3世 (970年 - 1032年) ブルグント王 | イタ・フォン・エーニンゲン (シュヴァーベン公コンラート1世娘) | ルドルフ2世 (? - 992年) アルトドルフ伯 | エティコ (? - 998年) アウクスブルク司教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ (? - 1000年) アルトドルフ伯 | ヴェルフ2世 (? - 1030年) レヒライン伯 | イミツァ (? - 1057年以降) (モーゼル伯フリードリヒ娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴェルフ3世 ケルンテン公 | クニグンデ (? - 1055年以前) | アルベルト・アッツォ2世 (? - 1097年) エステ辺境伯 | ガルセンダ (メーヌ伯エルベール1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴェルフ1世 バイエルン公 | フォルコ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新ヴェルフ家 | エステ家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- Sir Andrew Halliday Annals of the House of Hannover, v.1, London, 1826. at Google Books
- カール・ヨルダン 『ザクセン大公ハインリヒ獅子公-中世北ドイツの覇者-』 ミネルヴァ書房、2004年
- 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年