古家太郎兵衛
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古家 太郎兵衛[1](こげ[2] たろうべえ、旧姓・林、前名・精十郎[3]、1875年(明治8年)7月15日[4] - 没年不明)は、日本の実業家、資産家[3]、魚問屋[5]。堺魚相談役[1][2]。
人物
[編集]大阪府・林繁作の長男[2][3][4]。1899年に先代秀の入夫となり家督を相続し、1911年に前名・精十郎を改め襲名する[2][3]。
旧くより生魚問屋業を営んだが、1935年に堺魚会社を設立し、その初代社長となる[2][3]。堺魚の大株主である[6]。趣味は茶道[2][3]。宗教は真宗本願寺派[2][3]。住所は大阪府堺市少林寺町西二丁[2][3]。
家族・親族
[編集]- 古家家
当家は維新まで苗字帯刀御免にて禁裡御用を勤めた家柄である[2][3]。
- 妻・秀(1879年 - ?、先々代太郎兵衛の長女)[2][3]
- 長男・仙之助[1][5](1908年 - ?、堺魚取締役)[3][6]
- 三男・彦之助(1916年 - ?)[4]
- 長女[3]
- 二女[3]
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本紳士録 第41版』大阪コの部123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第11版 下』フ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第12版 下』フ116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月30日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 下』フ101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月12日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第46版』大阪コの部91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月30日閲覧。
- ^ a b 『日本全国銀行会社録 第47回』大阪府 上編492頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。