古市六三
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古市 六三(ふるいち ろくぞう、1885年(明治18年)6月25日[1] - 1961年(昭和36年)3月10日[1][2])は、明治から昭和期の鉱山技術者、実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]東京で工学者・古市公威の長男として生まれた[1][3]。父の死去に伴い、1934年(昭和9年)3月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1910年(明治43年)7月、東京帝国大学工科大学採鉱及冶金学科を卒業[2][3][5][6]。同年、住友総本店に入社[5]。以後、別子鉱業所採鉱課主任、住友合資技師長、住友本社技師長、住友鉱業取締役、昭和鉱業取締役、帝国鉱業開発副社長、同社長、東北亜鉛鉱業社長、藤田組会長、日本鉱業会会長などを務めた[2][3][5]。
1942年(昭和17年)1月17日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。その他、石炭生産能力調査委員会委員、鉄道省委員、運輸通信省委員を務めた[2]。
また、日本の漕艇(ボート競技)の先駆者の一人で、日本漕艇協会(のちの日本ローイング協会)の会長を務めた[5]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『現代人名情報事典』平凡社、1987年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 古市公威 |
男爵 古市(公威)家第2代 1934年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
ビジネス | ||
先代 芳川寛治 |
藤田組社長 1943年 - 1945年 |
次代 太田泰治 |