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高屋築山古墳

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古市高屋丘陵から転送)
高屋築山古墳

墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
所属 古市古墳群
所在地 大阪府羽曳野市古市5丁目
位置 北緯34度32分56.00秒 東経135度36分34.62秒 / 北緯34.5488889度 東経135.6096167度 / 34.5488889; 135.6096167 (高屋築山古墳(伝安閑天皇陵))座標: 北緯34度32分56.00秒 東経135度36分34.62秒 / 北緯34.5488889度 東経135.6096167度 / 34.5488889; 135.6096167 (高屋築山古墳(伝安閑天皇陵))
形状 前方後円墳
規模 墳丘長122m
高さ13m
出土品 円筒埴輪
築造時期 6世紀初頭
被葬者宮内庁治定)第27代安閑天皇・神前皇女
陵墓 宮内庁治定「古市高屋丘陵」
史跡 国の史跡「安閑天皇陵周堤」
(「古市古墳群」に包含)
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高屋築山古墳(たかやつきやまこふん)は、大阪府羽曳野市古市5丁目にある古墳。形状は前方後円墳古市古墳群の最南端に位置する。「安閑天皇陵」とも。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)」として第27代安閑天皇に治定されているほか、合葬の神前皇女継体天皇皇女)の墓に治定されている。また周堤は国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。

概要

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高屋築山古墳は、墳丘の長さ122メートル、前方部の幅100メートル・高さ12.5メートル、後円部は直径78メートル・高さ13メートルの前方後円墳である。

この古墳は、中世(室町時代後半)に畠山氏の居城である高屋城本丸がおかれており元々の形態が大きく改変されている。なお、『足利季世紀』によれば、畠山稙長は「本城ニハ恐レ」て居住せず「二ノ丸」に居住している。古墳に対する畏敬の念がありながらも城として利用していることは興味深いと指摘されている[1]

出土した円筒埴輪の特徴から、6世紀初頭に築造されたものと考えられている。

宮内庁によって安閑天皇陵に治定されており、拝所が国道170号線(旧道)に面した前方部正面の濠の外にある。

文化財

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国の史跡

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  • 安閑天皇陵周堤(史跡「古市古墳群」のうち) - 2024年(令和6年)10月11日指定[2][3]

脚注

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  1. ^ 竹井英文『戦国の城の一生―つくる・壊す・蘇る―』吉川弘文館、2018年、48-49頁。 
  2. ^ 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)(文化庁報道発表 、2024年6月24日)。
  3. ^ 令和6年10月11日文部科学省告示第144号。

外部リンク

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