神前皇女
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神前皇女(かんさきのひめみこ、生没年不詳)は、『記紀』に伝えられる古墳時代(6世紀前半頃)の皇族(王族)。継体天皇の皇女。母は坂田大胯王(さかたのおおまたのおおきみ)の娘、広姫(『古事記』では黒比売)、茨田皇女、馬来田(うまぐた)皇女の同母姉[1]。『古事記』では神前郎女と記される。
記録
[編集]名の「神前」は近江国神前郡神前郷の地名に基づくものと思われる[2]。
事績は残されておらず、『日本書紀』によると、異母兄の安閑天皇、皇后の春日山田皇女とともに河内国古市(旧市)の高屋丘陵(たかやのおかみささぎ)(羽曳野市大字古市字城の古市高屋丘陵)に合葬された、とだけ記されている[3]。『書記集解』によると、これは天皇の妃であったからではないか、としている。なお、『延喜式』によると、安閑天皇は「古市高屋丘陵(勾金橋宮御宇安閑天皇、在河内国古市郡、兆域東西一町、南北一町五段、陵戸一烟、守戸二烟)」に、皇后は「古市高屋墓(春日山田皇女、在河内国古市郡、兆域東西二町、南北二町、守戸二烟)」にそれぞれ葬られたとされ[4]、合葬とはなっていない。