古河従純
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古河 従純(ふるかわ じゅうじゅん、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1967年〈昭和42年〉8月24日)は、日本の実業家。古河財閥の4代当主である。
人物・経歴
[編集]西郷従徳の次男として生まれる。1929年にハーバード大学を卒業し、古河合名に入社。1931年に古河虎之助の養子となった。1940年に養父・古河虎之助が死去すると、古河家を継承し、男爵となり、古河合名会社社長及び古河石炭鉱業社長に就任した。1943年に帝国生命保険(現・朝日生命保険)社長、会長に就任[1]。1945年に一連の社長職・会長職を辞職[2]。1946年に公職追放され、1951年に解除[3]。1967年7月、古河林業社長に就任[4]。同年8月24日死去。危篤に際し、勲三等旭日中綬章を贈られた[4]。
家族
[編集]- 父:西郷従徳
- 母:西郷豊子(公爵 岩倉具定・次女)
- 養父:古河虎之助(古河財閥3代目当主、財閥創始者古河市兵衛・長男)
- 養母:古河不二子(侯爵 西郷従道・4女)
- 妻:吉村幸子(吉村萬治郎・長女、財閥創始者古河市兵衛・孫)
- 長男:古河潤之助(元古河林業 会長)
- 次男:古河久純(古河林業 代表取締役会長)
- 3男:古河正純
- 4男:古河建純[5][6][7]
- 5男:古河直純
- 長女:井上量子(巴川製紙所元社長 井上貴雄夫人)[8]
- 次女:大川冨美子(三菱製紙 岩崎東一と結婚した後、伊藤忠商事監査役 大川博通夫人)[8]
参考文献
[編集]- 『古河従純君伝』古河従純君伝編纂委員会 1971年
脚注
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 古河虎之助 |
男爵 古河(虎之助)家2代 1940年 - 1947年 |
次代 華族制廃止 |
ビジネス | ||
先代 古河虎之助 |
古河合名会社社長 1940年 - 1941年 |
次代 古河鉱業に合併 |
先代 古河虎之助 |
古河石炭鉱業社長→古河鉱業社長 1940年 - 1945年 |
次代 岡田完二郎 |