古田和三郎
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古田 和三郎(ふるた わさぶろう、1866年(慶応2年) - 1946年(昭和21年)4月24日)は、陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師。
来歴・人物
[編集]慶應2年に現在の茨城県にて生まれる。陸地測量部修技所に第1期生徒として入学し、1889年(明治22年)12月に首席で卒業[1]し陸地測量部陸地測量手(判任官)に任官した。1901年(明治34年)6月28日、陸地測量師(高等官八等)に任ぜられる[2]。1903年(明治36年)12月26日、高等官七等に陞進[3]し、日露戦争に従軍後、1909年(明治42年)12月27日、高等官六等に陞進[4]。
以後、満州の測量、清国応聘、陸地測量部修技所教官等に従事した。1918年(大正7年)11月20日に陸地測量部班長に補せられ[5]、同年12月27日高等官五等に陞進[6]。
1921年(大正10年)12月27日依願免官[7]となり、引き続き陸地測量部において業務嘱託となった。
栄典
[編集]- 1901年(明治34年)9月30日 - 正八位[8]
- 1904年(明治37年)3月18日 - 従七位[9]
- 1905年(明治38年)12月22日 - 勲六等瑞宝章[10]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲五等双光旭日章、明治三十七八年従軍記章[11]
- 1909年(明治42年)5月10日 - 正七位[12]
- 1914年(大正3年)6月30日 - 従六位[13]
- 1915年(大正4年)5月29日 - 勲四等瑞宝章[14]
- 1919年(大正8年)7月31日 - 正六位[15]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章[16]
- 1922年(大正11年)1月10日 - 従五位[17]
脚注
[編集]- ^ 「測量部卒業生任官の件(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C06081024700
- ^ 『官報』第5396号、明治34年6月29日。
- ^ 『官報』第6148号、明治36年12月28日。
- ^ 『官報』第7955号、明治42年12月28日。
- ^ 『官報』第1891号、大正7年11月21日。
- ^ 『官報』第1922号、大正7年12月28日。
- ^ 『官報』第2823号、大正10年12月28日。
- ^ 『官報』第5475号、明治34年10月1日。
- ^ 『官報』第6212号、明治37年3月19日。
- ^ 『官報』第6746号、明治38年12月23日。
- ^ 『官報』第7098号、明治40年3月1日。
- ^ 『官報』第7760号、明治42年5月11日。
- ^ 『官報』第575号、大正3年7月1日。
- ^ 『官報』第847号、大正4年5月31日。
- ^ 『官報』第2097号、大正8年8月1日。
- ^ 『官報』第2669号、大正10年6月24日。
- ^ 『官報』第2830号、大正11年1月11日。
参考文献
[編集]- 大田寛之「『測量随録 原稿』とその内容について」『外邦図研究ニューズレター』第12号、大阪大学大学院文学研究科人文地理学教室外邦図研究グループ、2021年3月、56-70頁。