古鹿田村
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こかだそん 古鹿田村 | |
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廃止日 | 1899年8月1日 |
廃止理由 |
編入合併 古鹿田村 → 岡山市、鹿田村、福浜村 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 御野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,536人 ([1]、1891年) |
隣接自治体 | 福浜村、芳田村、鹿田村、三櫂村、平井村、岡山市 |
古鹿田村役場 | |
所在地 |
岡山県御野郡古鹿田村大字七日市 |
座標 | 北緯34度38分29秒 東経133度55分56秒 / 北緯34.641319度 東経133.932194度座標: 北緯34度38分29秒 東経133度55分56秒 / 北緯34.641319度 東経133.932194度 |
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古鹿田村(こかだそん[3])は、岡山県御野郡にあった自治体である。
概要
[編集]旭川下流右岸に位置した。かつての鹿田荘の一部であり村名の由来でもあるが、鹿田村と分かつため「古」を冠した[4]。
奥内村・田住村・二日市村・七日市村・十日市村・青江邑・円覚村・新福村があったが、1875年(明治8年)3月に奥内村と田住村が合併して奥田村、円覚村と新福村が合併して豊成村となった[4]。また青江邑は青江村と改称した。
沿革
[編集]- 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、御野郡第九部戸長役場を七日市村に設置し、同村および二日市村・奥田村・十日市村・青江村・豊成村を管轄[4]。
- 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、二日市村(大部分)・七日市村・十日市村・奥田村・豊成村・青江村および岡山区新道の一部が合併して村制施行し、古鹿田村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を七日市に設置[1]。
- 1899年(明治32年)8月1日 - 岡山市、鹿田村、福浜村に分割編入。同日古鹿田村廃止。
合併後
[編集]古鹿田村廃止の際、七日市は岡山市の、豊成・青江は福浜村の、奥田は鹿田村の各大字となった[1]。
二日市は一部(字楮畠・字坪場・字下内田口・字銭屋敷・字矢倉下・字興七郎地・字清介地・字吉五郎地・字西川東筋・字古木屋橋筋・字寺町筋・字土手筋・字馬場筋・字宮地・字宮西・字新道・字下三野口・字西側筋)が岡山市二日市町となり、残余は鹿田村の大字となった[1][5]。
十日市は一部(字堀切・字中大明)が岡山市七日市となり、残余は福浜村の大字となった[1][5]。
当時の主要施設
[編集]- 春日神社
参考文献
[編集]- 『岡山市史 政治編』岡山市役所、1964年。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 岡山県「古鹿田村(近代)」
- ^ 1/20000岡山 明治28年測図・明治31.3.30発行(今昔マップ on the web)
- ^ (岡山県庁ホームページ)
- ^ a b c 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
- ^ a b 岡山市史 第63948頁(明治文献、1975年)