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台東区立金竜小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台東区立金竜小学校
地図北緯35度43分07秒 東経139度47分25秒 / 北緯35.718611度 東経139.79025度 / 35.718611; 139.79025座標: 北緯35度43分07秒 東経139度47分25秒 / 北緯35.718611度 東経139.79025度 / 35.718611; 139.79025
国公私立の別 公立学校
設置者 台東区
設立年月日 1912年9月2日
開校記念日 11月25日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B113210600143 ウィキデータを編集
所在地 111-0031
東京都台東区千束1丁目9番9号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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台東区立金竜小学校(たいとうくりつ きんりゅうしょうがっこう)は、東京都台東区千束一丁目にある小学校浅草寺の正式名・金龍山浅草寺の名がつけられた公立幼稚園。

概要

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最寄り駅は、東京メトロ日比谷線入谷駅東日本旅客鉄道(JR東日本)鶯谷駅など。児童は全員制服を着用。

沿革

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  • 1912年明治45年・大正元年)
    • 2月9日 - 新谷町2番地(芝崎町3丁目⇒現・西浅草3丁目25番地)[1]の旧東京電車株式会社跡地(現・生涯学習センター)に校舎建設開始。
    • 7月 - 校舎完成。
    • 9月2日 - 束、松葉、芝崎の3尋常小学校から児童1617名を集め、25学級の金竜尋常小学校として授業開始。
    • 11月25日 - 開校式挙行。この日(11月25日)を開校記念日と定めた。
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 11時58分頃に発生した関東大震災により校舎焼失。
  • 1928年昭和3年)9月20日 - 鉄筋コンクリート校舎竣工。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、金竜国民学校と改称。
  • 1944年(昭和19年)9月[1] - 戦局の悪化により、宮城県に児童を集団疎開させる。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月14日 - 宮城県に集団疎開していた児童が、全員無事帰京する。
    • 11月 - 学制改革(「六・三制」施行)により、台東区立金竜小学校へ改称。
  • 1953年(昭和28年) - 特別支援学級(心障学級)開設[1]
  • 1957年(昭和32年) - 創立45周年記念として新校歌制定。
  • 1961年(昭和36年)7月10日 - 金竜公園の敷地に新しいプール完成。新プールは自然排水の設備の整ったプールでした。それ以前は、校庭の隅に防火用水として造られたプールでした。普段はプールにふたをして校庭として使っていた。
  • 1963年(昭和38年)7月 - 標準服制定[1]
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 金竜幼稚園が併設開園。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 特別支援学級の名称を「かたばみ学級」とした。
  • 1982年(昭和57年) - 金竜小学校「賛歌」ができる[1]
  • 1986年(昭和61年) - 西浅草3丁目の校舎から、現在の新校舎(千束1丁目)へ移転[1]
  • 1987年(昭和62年) - 新校舎落成記念式典挙行[1]
  • 1998年平成10年)9月28日 - 生涯学習センター建設のため旧校舎解体(「生涯学習センター」は平成13年完成)。
  • 2002年(平成14年) - ビオトープ「金竜の里」完成[1]
  • 2007年(平成19年)4月 - 併設されていた金竜幼稚園が独立。

教育目標

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  • 進んで学ぶ子
  • 思いやりのある子
  • 心も体も健康な子

アクセス

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卒業生

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学校周辺

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 金竜小学校の「歴史」

外部リンク

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