台湾鉄路管理局LDK50型蒸気機関車
台湾鉄路管理局LDK50型蒸気機関車 | |
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基本情報 | |
製造所 |
H.K.ポーター 汽車製造 日本車輌製造 日立製作所 |
製造年 | 1915年 - 1938年 |
製造数 | 13両 |
引退 | 1982年 |
主要諸元 | |
軸配置 | D (0-8-0) |
軌間 | 762 mm |
全長 | 7,305 mm |
全高 | 3,026 mm |
機関車重量 | 20.3 t(運転整備時) |
動輪上重量 | 20.3 t(運転整備時) |
動輪径 | 711 mm |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダ (直径×行程) | 305 mm × 356 mm |
弁装置 | ワルシャート式 |
ボイラー圧力 | 12.7 kgf/cm2 (1.245 MPa; 180.6 psi) |
火格子面積 | 0.73 m2 |
全伝熱面積 | 38.6 m2 |
全蒸発伝熱面積 | 38.6 m2 |
燃料 | 石炭 |
燃料搭載量 | 0.85 t |
水タンク容量 | 2.26 m3 |
制動装置 | 手ブレーキ、蒸気ブレーキ |
シリンダ引張力 | 5,030 kg |
LDK50型は、かつて台湾鉄路管理局に在籍した、タンク式蒸気機関車である。
概要
[編集]もとは、日本統治時代の台湾総督府鉄道が1915年(大正4年)から762mm軌間の台東線で使用するために導入した、車軸配置0-8-0(D)、運転整備重量20トン、2気筒単式のサイドタンク機である。主に貨物列車の牽引と入換用に使用された。
最初の3両は、アメリカのH.K.ポーター社から輸入されたが、その後1938年(昭和13年)までに日本のメーカー3社で10両が模倣生産された。長期にわたって製造されたため、日本統治時代の称号規程の改正を2度経ており、当初の8両の番号は10 - 12, 20 - 25であったが、50 - 58に改番され、その時期に3両(59 - 61)が製造された。さらにこの12両がLD10形(LD101 - LD1012)となり、この時期に1両(LD1013)が製造されている。その状況は、次のとおりである。
製造年 | 製造所 | 製造数 | 製造番号 | 番号 |
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1915年 | H.K.ポーター | 3両 | 5644 - 5646 | 10 - 12 → 50 - 52 → LD101 - LD103 |
1917年 | 汽車製造 | 1両 | 247 | 20 → 53 → LD104 |
1919年 | 2両 | 290, 291 | 21, 22 → 54, 55 → LD105, LD106 | |
1921年 | 1両 | 544 | 23 → 56 → LD107 | |
1923年 | 日本車輌製造 | 1両 | 81 | 24 → 57 → LD108 |
1925年 | 日立製作所 | 1両 | 173 | 25 → 58 → LD109 |
1930年 | 1両 | 421 | 59 → LD1010 | |
1937年 | 汽車製造 | 2両 | 1448, 1456 | 60, 61 → LD1011, LD1012 |
1938年 | 日本車輌製造 | 1両 | 557 | LD1013 |
汽車製造製の最初の4両は、ポーター製に忠実なコピーを行ったが、1925年の日立製からはシリンダの位置を51mm(2in)前方に移し、運転室を鋼製とした。さらに1930年製のものからはサイドタンクを前方に延長して形態が変わった。運転台の側面には、空気取り入れ口があって、特徴となっている。
太平洋戦争後は、全機が台湾鉄路管理局に移管され、LDK50型(LDK51 - LDK63)となって、1982年の台東線改軌まで使用された。
保存機
[編集]台湾での廃車後の1982年(昭和57年)、本形式のうち数両がLDT100型3両などとともに東急電鉄によって再輸入された[1]。このうちLDK57は、1984年(昭和59年)4月にたまプラーザ東急で行われた東急田園都市線全線開通記念「鉄道おもしろ大博覧会」に合わせて、たまプラーザ駅前広場で展示された[2]。その後、LDK56・LDK57は民間に売却された。
台湾に残った本形式のうち、LDK58は澎湖県政府、LDK59は台東県政府に寄贈された。LDK59は台湾鉄路管理局の手で動態復元され、2011年には花蓮駅構内で往復運転が行われた。
画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
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LDK56 | 埼玉県越谷市大間野町3丁目67-1 ステーキハウスペコペコ南越谷店 |
敷地内には東武鉄道ワラ24貨車も保存されている。 | |
LDK57 | 栃木県那須郡那須町高久乙24-2 KIDS PLAYGROUND//NASU (旧 那須SLランド) |
たまプラーザでの展示終了後、蓮田市のステーキハウスペコペコの店頭に置かれ[3]、閉店により浦和市内の資材置き場で保管された。その後、「那須SLランド」に移り、きかんしゃトーマスを模した塗装で保存されている。 | |
LDK58 | 台湾台北市中正区黎明里北平西路3号 台北駅前(東2門) |
1985年より澎湖県馬公市の県立文化センターで展示されていたが、1999年に台北機廠で修理が行われ、2000年の鉄道祭に合わせて台北駅前で展示された。その後は台北機廠で保管されていたが、2011年に台鉄100周年を記念してLDR2201気動車とともに台北駅前に設置された。 | |
LDK59 | 台湾花蓮県花蓮市国聯一路100-5号 台湾鉄路管理局交通部花蓮機廠(花蓮駅隣接) |
動態保存。「小王子(星の王子さま)」の愛称がある。復元以前は台東市の鯉魚山公園や花蓮駅で静態保存されていた。 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 金田茂裕「H.K.ポーターの機関車」1987年、機関車史研究会
- 近藤一郎「新編H.K.ポーターの機関車」2011年、機関車史研究会
- 臼井茂信「機関車の系譜図 3」1976年、交友社